使徒たちに倣う現代の教会のあり方

今日の教会が停滞し、魅力に欠け、平凡でどんどん縮小していると感じるなら、使徒の働き2章42節から47節を読み返し、起こるはずのことが起こっていないのは何かを問うべきです。福音は変わらず、神の力は衰えていません。人々は今も救いを必要としています。私たちは何をしているのでしょうか。この問いかけは、現代の教会に突きつけられた重要な課題です。

神の働きに加わる

使徒たちは、人々の教え、交わり、パンを裂くこと、祈りに専念していました。彼らはイエス・キリストの教えを守り、聖霊に満たされて奇跡を行いました。これは特別な人だけでなく、その後の世代のクリスチャンにも引き継がれていきました。パウロやバルナバも、主の力によって奇跡を行ったと記されています。私たちも神様の働きに加わり、主が私たちを通して働かれることを期待できるのです。

聖書は、しるしを行っているのは主ご自身だと教えています。私たちは謙遜に神様の働きの道具となり、土の器として神の栄光を現すのです。人々から見れば、奇跡を行う人が偉大に思えるかもしれません。しかし、私たちは自分の力ではなく、神の力によってそれができると理解しなければなりません。一人ひとりが日々の生活の中で神様の奇跡に立ち会い、それを覚えて感謝することが大切です。小さなことかもしれませんが、神様は私たちの人生に奇跡の瞬間を用意してくださっているのです。

多様性の中の一致

初代教会は、様々な文化的背景を持つ人々が聖霊によって一つとされた共同体でした。当時のユダヤ人は、異邦人と交わることを避ける傾向がありましたが、教会では違いを乗り越えて一致していました。私たちの教会も、言葉や育ちの違いを超えて、神の愛によって結ばれる場となるべきです。それは人間の力ではなく、聖霊の働きによって可能となるのです。

愛の実践

また、初代教会は物質を共有し、貧しい人たちのニーズを満たしていました。自分の財産を独り占めするのではなく、神から与えられたものを人のために用いる心構えが大切です。現代社会では、経済的格差が広がり、貧困に苦しむ人々が増えています。教会は、そのような人々に手を差し伸べ、物質的にも精神的にも支えていく使命があります。

礼拝と交わり

礼拝についても、初代教会の姿勢に学ぶべきことがあります。彼らは宮に集まって礼拝をし、家々でパンを裂き、喜びをもって食事を共にしました。パンを裂くことは、イエス・キリストの十字架と復活を思い起こすしるしでもありました。私たちも礼拝だけでなく、日常の交わりの中でキリストを覚え、互いに愛し合うことが求められます。

今こそ立ち上がるとき

現代の教会は、様々な課題を抱えています。信仰の形骸化、世俗化、教会離れなどが進み、教会の存在意義が問われる時代となっています。しかし、私たちは臆することなく、使徒たちに倣って、御言葉と祈り、愛の交わりに専心するなら、神は救いを必要とする人々を私たちの教会に加えてくださるでしょう。イエス・キリストの証人として、神の栄光を現す器となるために、今こそ立ち上がりましょう。

現代の教会が衰退しているという現状を踏まえつつ、私たちがなすべきことは何かを考えるとき、使徒の働きに記された初代教会の姿は、大きな示唆を与えてくれます。彼らは聖霊に満たされ、神の言葉に聞き従い、愛をもって交わり、貧しい者に仕えました。その結果、多くの人々が救いに導かれ、教会は成長していったのです。

私たちの教会も、使徒たちの模範に従うことを志すなら、まず御言葉に立ち返り、祈りに集中することから始めなければなりません。説教を通して神の真理を語り、聖書の教えを日々の生活に適用していくのです。また、信徒一人ひとりが聖霊に満たされ、賜物を用いて奉仕することが不可欠です。

教会は、単なる建物や組織ではなく、キリストの体なのだということを肝に銘じるべきです。一人ひとりがキリストに連なる枝として、互いに愛し合い、支え合うことによって、教会は生き生きと成長していくのです。それは、人種、文化、社会的地位の違いを超えた、神の家族としての一致を体現することでもあります。

さらに、初代教会は貧しい者や困窮している人々へのケアにも特徴づけられていました。彼らは持ち物を分かち合い、必要としている人には誰にでも分配したのです。現代の文脈においても、教会は貧困、不正義、様々な社会問題に取り組む最前線に立たなければなりません。私たちはキリストの手と足となり、憐れみと実際的な助けをもって、疎外され抑圧された人々に手を差し伸べるよう召されているのです。

礼拝に集うとき、私たちは初代教会の信者たちと同じ敬虔さと喜びをもって集まるべきです。彼らは神殿の庭に日々集まり、家々でパンを裂き合いました。私たちの礼拝はいきいきとした、御霊に満たされた、キリスト中心のものであるべきです。それはまた、私たちが行うすべてのことにおいて神に栄光を帰そうとしながら、日々の生活にも流れ出ていくのです。

今日の教会が直面する課題は複雑で困難なものですが、乗り越えられないわけではありません。もし私たちが、御言葉に励み、祈りに専心し、交わりを持ち、他者に仕えるという使徒たちの模範に従うことに身を委ねるなら、神が私たちを通して御心を成就してくださることを信じることができます。初代教会のように劇的な奇跡は見られないかもしれませんが、それでも人生とコミュニティーが変えられる奇跡は今も経験できるのです。

今こそ、キリストの体である私たちが立ち上がり、神がお召しになった教会となるときです。私たちの注意を逸らすものや、心を奪うものを脇に置き、信仰の創始者また完成者であるイエスに目を留めましょう。聖書を学ぶことに勤勉になり、祈りに燃え、互いの愛を堅く保ちましょう。そして、福音を大胆に証しし、それを切望している世界とキリストの良き知らせを分かち合いましょう。

そうすることで、初代教会に力を与えた同じ御霊が、私たちのうちにも、私たちを通しても働いておられると確信を持つことができます。試練や反対に遭うかもしれませんが、キリストが約束された「わたしが建てるわたしの教会を、よみの門もはたらけない」という保証を私たちは持っているのです。使徒たちのように、私たちも召命に忠実であり続け、神が私たちを用いて、神の栄光のため、世界の益のために、もっと多くの人々を御国に連れ入れてくださいますように。

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