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救いと創造の秩序

聖書の真意を適切に読み取ることが必要。
字義通りに読んでしまうと、昔のおとぎ話のようになってしまう。

現代の状況に合わせて再解釈することが求められてくる。

ですから、私は願うのです。男は、怒ったり言い争ったりすることなく、どこででもきよい手を上げて祈るようにしなさい。
同じように女も、つつましい身なりで、控えめに慎み深く身を飾り、はでな髪の形とか、金や真珠や高価な衣服によってではなく、
むしろ、神を敬うと言っている女にふさわしく、良い行ないを自分の飾りとしなさい。 女は、静かにして、よく従う心をもって教えを受けなさい。
私は、女が教えたり男を支配したりすることを許しません。ただ、黙っていなさい。
(Iテモテ2:8-12)

パウロはここで教会の交わりにおいて、
男女がどういう態度でいるべきかについて助言している。

これはエペソ教会の特殊な事情が関係している。

神のために聖別されたものとして自覚し、
清い手をあげる。

宗教心そのものは純粋であっても、
祈り先がどんな方かも知らずに祈っていることがある。

自分がどれほど罪深いものであるかを気に留めず、
祈っていることがある。

怒ったり言い争ったりすること。
清い手を挙げられない状態では、祈りにならない。

高価な衣服を身にまとうのではなく、
善い行いで礼拝に臨む。

礼拝者として整えられた態度こそが、
ふさわしい出席方法となる。

各自が自分にそれを適用するということ。
明らかに手を抜いた奉仕となってしまうなら、良い奉仕とは言えない。

それが捧げものとなることこそ、最高の飾りである。

聖書の言葉を字義通りに読んで、誤解しないようにしたい。

アダムが初めに造られ、次にエバが造られたからです。
また、アダムは惑わされなかったが、女は惑わされてしまい、あやまちを犯しました。
しかし、女が慎みをもって、信仰と愛ときよさとを保つなら、子を産むことによって救われます。
(Iテモテ2:13-15)

惑わされやすい状況にあったテモテの女性教師。
信仰、愛、清さ。

キリストの永遠の愛。十字架の贖いを保つことで、
誰もが救いの確信を得ることができる。

救いの秩序。

女性に産みの苦しみと恵みを与えられたのも、
神の創造の秩序を伝えるためであった。

子を産むことによって救われる、
これは誇張法による表現。

子を産まなければ滅びである、というわけではない。

産みの苦しみと恵みを通して、
救いの確信を持って生きていきなさい、ということ。


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