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神の恵みと働き

癒やしとは、傷ついていたことを、もう一度見つめること。

気まずいと感じることもある。
しかしその時に、見捨てられないのだという保証があることを思い起こすことで、もう一度立ち返ることができる。

本日は、クリスマスのストーリーからこの癒やしについて紹介していく。

ユダヤの王ヘロデの時に、アビヤの組の者でザカリヤという祭司がいた。彼の妻はアロンの子孫で、名をエリサベツといった。 ふたりとも、神の御前に正しく、主のすべての戒めと定めを落度なく踏み行なっていた。 エリサベツは不妊の女だったので、彼らには子がなく、ふたりとももう年をとっていた。

ルカ1:5-7

神の前に正しい人であった二人。

その中においても気まずさを抱えていた。
年老いても不妊で子供が居ない二人。

ザカリヤは特別な働きのために神殿で奉仕することになる。
そして、御使いから語られる。

さて、ザカリヤは、自分の組が当番で、神の御前に祭司の務めをしていたが、 祭司職の習慣によって、くじを引いたところ、主の神殿にはいって香をたくことになった。 彼が香をたく間、大ぜいの民はみな、外で祈っていた。
ところが、主の使いが彼に現われて、香壇の右に立った。 これを見たザカリヤは不安を覚え、恐怖に襲われたが、 御使いは彼に言った。「こわがることはない。ザカリヤ。あなたの願いが聞かれたのです。あなたの妻エリサベツは男の子を産みます。名をヨハネとつけなさい。

ルカ1:8-13

そこで、ザカリヤは御使いに言った。「私は何によってそれを知ることができましょうか。私ももう年寄りですし、妻も年をとっております。」 御使いは答えて言った。「私は神の御前に立つガブリエルです。あなたに話をし、この喜びのおとずれを伝えるように遣わされているのです。 ですから、見なさい。これらのことが起こる日までは、あなたは、おしになって、ものが言えなくなります。私のことばを信じなかったからです。私のことばは、その時が来れば実現します。」

ルカ1:18-20

長年子どもがほしいと考えていたザカリヤ。
神に仕えてきた彼でも、御使いの言葉を聞いてすぐに信じることは出来なかった。

罪による気まずさ。

すぐに信じることが出来ない私達の現実。
しかし、神は私達を見捨てることはなかった。

その後、妻エリサベツはみごもり、五か月の間引きこもって、こう言った。 「主は、人中で私の恥を取り除こうと心にかけられ、今、私をこのようにしてくださいました。」

ルカ1:24-25

ザカリヤは、神の御業が実現していくことを、自分の体験を通して知ることになる。

神が約束したことは、責任を持って導いていくということ。

そして無事に赤ちゃんが誕生した。

さて月が満ちて、エリサベツは男の子を産んだ。 近所の人々や親族は、主がエリサベツに大きなあわれみをおかけになったと聞いて、彼女とともに喜んだ。

ルカ1:57-58

周りの人にとっても大きな喜びとなった。
なお神とともに一生懸命生きようとする姿を通して、神の恵みが周りの人たちにも伝わっていくこととなった。

さて八日目に、人々は幼子に割礼するためにやって来て、幼子を父の名にちなんでザカリヤと名づけようとしたが、 母は答えて、「いいえ、そうではなくて、ヨハネという名にしなければなりません。」と言った。

ルカ1:59-60

当時は父親の名前をつけるのが一般的であった。
しかし神からの命令であるために、ヨハネと名付けた。

彼らは彼女に、「あなたの親族にはそのような名の人はひとりもいません。」と言った。 そして、身振りで父親に合図して、幼子に何という名をつけるつもりかと尋ねた。

ルカ1:61-62

ちょっとした気まずさ。周りはこの名前にすべきと考えているところ。
しかしそれに流されるのではなく。御使いの言葉による名前を伝える。

すると、彼は書き板を持って来させて、「彼の名はヨハネ。」と書いたので、人々はみな驚いた。すると、たちどころに、彼の口が開け、舌は解け、ものが言えるようになって神をほめたたえた。

ルカ1:63-64

最終的に父親に聞いたが、その父親もヨハネと答えた。

神への恨みが募ってもおかしくない状況であったが、彼は神を褒め称える事を選択した。

さて父ザカリヤは、聖霊に満たされて、預言して言った。
「ほめたたえよ。イスラエルの神である主を。
主はその民を顧みて、贖いをなし、
救いの角を、われらのために、
しもべダビデの家に立てられた。

ルカ1:67-69

顧みるとは、訪れることである。
苦しみの中においても賛美をしたザカリヤ。

苦しみを通して、その先に神を賛美する生き方がある。
神を待ち望む時期にふさわしいこと。

私達が期待するタイミングで来ないことが多い。

神の約束は実現しないことが多い。
それでも、今日も心を近づけていきたい。

そして、近所の人々はみな恐れた。さらにこれらのことの一部始終が、ユダヤの山地全体にも語り伝えられて行った。 聞いた人々はみな、それを心にとどめて、「いったいこの子は何になるのでしょう。」と言った。主の御手が彼とともにあったからである。

ルカ1:65-66

すぐに信じることが出来ないとしても、ザカリヤは神に従った。

クリスマスに神のことを伝えなければ、と力むことがあるかもしれない。
しかしすでに神は働いている。

神の働きを見ることができるならば、神の恵みは自然と伝わっていく。

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