私がHSPになった日
私はどうやらHSPのようだ。
なんとか症候群、ではない。
Highly Sensitive Person だ。
「『繊細さん』の本」という本がベストセラーとなり、YouTubeやテレビでも取り上げられたことで、耳にしたことがある人もいると思うが、別名「繊細さん」である。
その本を紹介している動画によって、私がその存在を知ったのはつい最近のことである。
友人と、最近のちょっとしたモヤモヤをLINEで話していたら「このYouTube観てみたら?」と勧められたのだ。
◆中田敦彦のYouTube大学 - NAKATA UNIVERSITY
【繊細さん①】気がつきすぎて疲れる人へ今日からできる実践テクニック
https://www.youtube.com/watch?v=3xDnLYswngs
◆実際の著書はこちら
http://www.asukashinsha.co.jp/bookinfo/9784864106269.php
観てびっくりした。
完全に自分のことだと思った。
そして途中で涙が出た。わかってくれる人がいたと思った。
HSPとは、刺激に対して敏感に反応する " 神経システム " を持っている人を指す。
性格などではなく、脳の神経システムだそうだ。
世の中の5人に1人がこの神経システムを持っているらしい。
私が幼いころからそんなに敏感だったかというと、おそらくそうではない。
もしかしたら、持ち物としては生まれつき持っていたのかもしれないが、実際にそれが覚醒したのは小学生のときだ。
なんならそのときの記憶があると言ってもいい。
小学4年生のとき、クラスでいじめが流行った。
よくある、リーダー的な存在の女子がいて、その子が気に入らないことをした子が標的となっていじめられた。
悪口、陰口、いやなあだ名をつける、無視。そんな感じで、クラスの半分くらいの子が標的になったと思う。
私もそうだった。ついに順番が回ってきたと思った。
学校に行っても、一日中だれとも話さない日が続いた。
リーダー女子の顔色をうかがい、クラスメイトの話す言葉に耳を澄ませるうちに、私は人の表情や目線、口調などから相手が今どう思っているのかがわかるようになったのである。
今思えば、当時の私はなかなかのかまってちゃんで「ねぇ聞いて聞いて」「すごいでしょ?」と、" 私に注目してオーラ" 全開で、自分の思い通りにならないとツンとそっぽを向いて機嫌が悪くなる、うざい子どもだった。
5年生になり、クラス替えがあって、私はいじめから解放された。
周りの人の言動を異様に気にしてしまうのは変わらなかったが、私の性格は変わっておらず、「ねぇ、私この前○○したんだよ、すごいでしょ」を繰り返していた。
ある日、いつも一緒にいるわけではないけど、よく話す方のクラスメイトAちゃんと廊下でばったり一緒になった。教室まで二人で歩く道すがら、また私は何かの自慢をした。
するとAちゃんは、「だからなんなの? 何が言いたいの?」と踵を返して行ってしまった。
私ははっとした。
これだったんだ、と。
「だからなんなの?」…その通りだ。
完全に「いいな~うらやましい」待ちの私の話は、楽しくもなんともない。
前のクラスでのいじめは、ただ順繰りに回ってきただけのものではなくて、私に原因があったのだとようやく気づいた。
と同時に怖くなった。
どうしよう、怒らせちゃった…。
陰口ではなく、その場でパンと跳ね返されたことがなかった私は、Aちゃんにどう接すればいいかがわからなくなった。
謝りたいけど、Aちゃんはいつも別の女の子と一緒にいて、結局その日はそのまま下校の時間になってしまった。
翌朝登校して、ひとり教室に向かって廊下を歩く私のすぐ後ろで、「おはよ!」と言って、私を追い抜いた女の子がいた。
Aちゃんだった。
Aちゃんは笑っていた。
なんというか、今でもそのときのことを鮮烈に覚えている。
よかった、という安心感に泣きそうになったし、
何事もなかったかのように接してくれたAちゃんを尊敬もした。
Aちゃんの屈託のないまっすぐな性格をうらやましくも思ったし、
それに比べて自分は…と恥ずかしくもなった。
たくさんの感情がわーっと湧き上がってきたが、でも一番は、いじめとかじゃなく、私のだめなところを教えてくれたことに、本当に心の底から感謝した。
その日を境に私は変わった。
口を開く前に、頭でよく考えるようになった。
これは大丈夫かな。
これはやめとこう。
すると、周りの人との関係がよくなった。
その後いじめられることもなかったし、悩みを相談されたり、学級委員に推薦されたりもした。
こうして私は、人の感情や場の雰囲気などを察することが得意となり、自分が思っていることを話す前に、相手が求めていることを話すようになった。
一般的に、HSPの人は生きづらいと言われている。
でも私は、HSPとしての神経システムをもっていてよかったと思う。
これがなければ、私はあのうざい性格から抜け出せなかった。
Aちゃんはきっと覚えていないだろうけど、私は30年近くたった今でもありありと思い出せるし、Aちゃんには感謝してもしきれない。
日常は、気がつきすぎて疲れることもたくさんあるけれど、気がつかずに通り過ぎてしまうよりはずっといい。
世の中は、小さくて細かい物事の集合体だから。
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