困れる人の傍らに
この度、臨床心理士&公認心理士ユニット みこと心理臨床処は、三軒茶屋に初めての庵を結びました。
心理職としては年齢もキャリアも個性も違う私たち3人の共通の思いは、困っている人の声を聞き、支えることが我々心理職の本分であり使命であるということです。その本分を果たすための一つの目標としてきたのが、クライエントを迎えるための部屋を構えることでした。そこで今回は、私たちにとっての第2のスタートとなる三茶庵開室に寄せて、改めて私たちの想いを書かせていただこうと思います。
“「困った子ども」は「困っている子ども」”という言葉を、教育の場ではよく聞きます。これは“子ども”を“人”に置き換えても言えることなのではないでしょうか。
“困った人”は“困っている人”。そしてその困っている人の周りには、その人を心配したり、その人にまつわることで困ったりしている人がいるかも知れない。みことはそんな方々の傍らにありたいと考えています。
ところで、知り合いなどにカウンセラーを生業としていると言うと「自分はそんなにメンタル病んでないけど絶対必要な仕事だよね」という言葉がよく返ってきます。必要なことはわかる。でも自分には縁はない。そんなふうに思いながら日々暮らしている方は、実は多いのかも知れません。
けれど、そこに一つの誤解があります。カウンセリングとは何も「メンタル病んでる人」のためだけのものではないということです。
「困っている人」とは何も、心に傷を負った人や困難を抱えている人だけとは限りません。その周りの人―家族や大切な人がひどく傷ついたり困ったりしている人にも、私たちの支えが必要になることがあります。
むしろ周囲の方の方が「自分がしっかりしなくては」「自分がこの人を支えなくては」と頑張り過ぎてしまい、心身ともにダウンしてしまうなどということは、よくあります。
傷ついている人ほど「こんなものは傷のうちに入らない」と自分を叱咤して結果的に傷が深くなってしまうことも、よくあります。
そうなる前に、あるいはそうなってしまってからでも。困っている人とその周りで心を痛めている人に、私たちの庵を訪れてほしいと思うのです。
この庵で一度荷物を下ろし、ゆるりとあなたの話を、困りごとを聞かせてくださいませんか。
困っているあなたの側に、私たちはいます。
(文責:C.N)