家族だって他人
是枝裕和監督の映画『歩いても歩いても』(2008年公開)を見てから、ブルーライト・ヨコハマのワンフレーズが頭から離れない。まあ、だからこそヒット曲なんだろうなと、今更ながら納得したりする。
肝心の映画の方は、家族は家族だから傷つけあうんだよな、というのをリアルに、繊細に描いていた。息子が父に認められたいと切望してしまうのだって、それが父親だからで、他所のおじさんだったらどうでもいいはずだ。認められたって給料が上がるわけでも、昇進するわけでもないんだし。でもそこは、父だから、息子だから、母だから、娘だから、と相手に期待し、それがほんの少し裏切られるだけで傷つき、こだわり、そんな自分を認められなくて葛藤したりする。もちろん、本当に傷つけてくる、居るだけで害になる家族っていうのも居るけど、客観的には普通の家族でも家族ゆえの傷つけ合いがあるものだ。そして、家族ゆえの愛や、労りや、思いやりもあって、それが欲しいから人はやっぱり家族をつくる。
そんなわけで、私達はいつまで経っても家族のことで悩み、傷つけ傷つき、もがきつづける。
世の中の殆どの事象と同じ。家族だって、良いことも悪いこともある。酸いも甘いもある。だから、家族っていいねとか、家族仲良く暮らそうとか、そんなことは言わない。どんな家族に生まれたって、あなたはあなたで幸せに暮らす権利があるし、新たな家族を作ったって作らなくたっていい。自分で家族を作らなくたって、みんな誰かの子どもだから、何処かの家族の一員だ(もしくはかつて一員だったはずだ)。
歩いても歩いても、目指すような素晴らしい家族に届かない。それどころか、立ち止まることも逃げ出すことも出来ない。それでも、歩き続ける、すべての家族の構成員たちに、ほんの少しでも優しさや慰めや笑いが届くように願って、みこと心理臨床処のスタッフがおくる連載 『家族だって他人』
はじまり、はじまり。
目次(毎週 月曜日更新)
殻の中の息子たちへ (2022年1月17日 公開 ) 文責:M.C
血は水よりも (1月24日 〃 ) 文責:C.N
曖昧のすすめ (1月31日 〃 ) 文責:K.N
優しい娘たちへ (2月 7日 〃 ) 文責:M.C
話しをしようよ (2月14日 〃 ) 文責:C.N
親ガチャと言う勿れ? (2月21日 〃 ) 文責:K.N
母の憂鬱 (2月28日 〃 ) 文責:M.C
話をするには (3月 7日 〃 ) 文責:C.N
鏡は何を映すのか (3月14日 〃 ) 文責:K.N
父の苦悩 (3月21日 〃 ) 文責:M.C
隙間のあのコやこのコの話 (3月28日 〃 ) 文責:C.N
休みが必要だ (4月 4日 〃 ) 文責:K.N
家族の記憶 (4月11日 〃 ) 文責:M.C
あなたはあなた わたしはわたし(4月18日 〃 ) 文責:C.N
夢のあとさき (4月25日 〃 ) 文責:K.N
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