押し付けてくるタイプのヴィーガン
昨今、「ヴィーガン」という、菜食主義を主張する人たちが増えているじゃないですか。それに関して、ずっと腑に落ちないことが一つだけあって。
記事を読む前に一つだけ注意して欲しいのは、別に私はヴィーガンという思想や主義に異を唱えたいわけでもなく、それは間違ってる!ということを言いたいわけでは全くないんですよ。むしろ多様な価値観の一つとして尊重されるべきとすら思っています。
じゃあ何が腑に落ちてないのかというと、
「なんか思想を強要してくるタイプのヴィーガンがいる」
ということなんですよ。
私の友人がまさにそのタイプで、ある日一緒に出かけた際に、「俺ヴィーガンだから肉食わねえぞ」といって、食事をする店を探すのにめちゃくちゃ苦労したんですよ。結局新大久保にあったヴィーガン向けの料理も出してくれるオーガニック料理のお店に入ったんですけど、私は結局ハンバーグ定食みたいな肉料理頼んじゃったんですよね。そしたら彼が
「おいバカか!肉食うなや!なんのためにこの店入ったんだ」
とかいうから、いや俺はヴィーガンじゃないから、と言うと彼は
「動物の命を奪うことがどういうことかわかってない…!」
って人間の加虐性についてつらつら言い出すんですよ。
僕、今までヴィーガンって、動物性タンパク質が体に合わないとか、植物性タンパク質の方が健康的だから、とかいう自分の「健康を促進する目的」で肉を食べない人のことだと思ってたんですよ。
でもこの人は「動物を殺すのが可哀想」という、なんか「精神論」でヴィーガンやってんですよ。まあそれはそれで別に良いんだけどね。思想は自由だから。
だけどそれを強要してくるのが腑に落ちない!
食事の最中彼の主張をずっと聞いてたんですけど、「人間だけが自由に動物を殺す権利を持っているなんて傲慢だ」「何の感情も湧かないのか!」っていってたんですね。
いや、湧くよ普通に。
私ドキュメンタリーとか好きで何回か屠殺業に密着したドキュメンタリーとかみたことあるけどすごい心痛むよ。
ただそこで私は「じゃあもう生き物を殺さない」じゃなくて「もっと感謝を持って生き物の命を頂こう」って思っただけの話で。
だから飯食う時「いただきます」って言ってんでしょうよ。あれって料理を作ってくれた人への感謝と命を提供してくれた生き物たちへの感謝の言葉だから。知ってた?
必ず言うよ俺。一人で松屋にいる時もちゃんと言うよ俺。
だからちゃんと考えた上で肉食ってんだから強要しないでくれる?俺もお前に肉食えって言わないからさ。
というか、殺し殺され食い食われるなんて、太古の昔から全生物がやってきた自然界のルールなわけじゃないですか。他の生き物を殺して食うことが一番自然な形ではあると思うんです。
その中で他の動物を「殺さない」選択肢を取ろうとすることこそ、それこそ人間を格式高い生き物だと思ってませんか?傲慢じゃないか?
意趣返しみたくなっちゃったけど、まあ、「殺し殺されるのが自然な形」というなら自分も殺される覚悟で他の生き物を殺さないといけなくなるから、安全圏で自然の摂理どうこう言ってる時点で僕の主張にも穴があるんですけどね。
だからどっちの主張にも穴があるしどっちもある意味正しいんだから、どっちが間違ってるとかもないんですよ。
ただ、異なる思想がお互いの思想を侵したり侵略しようとすれば、そりゃ戦争でしょうよ。実際戦争ってそうやって起こってきたからね。話のスケールデカくなっちゃったけど。
だから結局何が言いたいかというと、人それぞれみんな意外とちゃんと考えて生きてるから、不用意に自分の意見を押し付けないようにね、ってことです。
特に私は結構自分の中でいろんな意見や考えを持ってるけどそれを対外的に主張したりしないタイプなんで、対外的に主張するタイプの人に色々言われやすいんですよ。
まあ、そんな感じです。多様性社会だからね。