ジャガイモ野球少年が美大受験戦争に挑む話
小さい頃の僕は、ジャガイモにすらバカにされるレベルの土まみれ野球少年だった。
ほら見てよ、これ。将来の夢は泥棒かな?
見るからにアホそうな丸坊主小僧だが、しかし将来の夢を聞かれたらとりあえず「外科医」と答えて大人たちを喜ばせるという、そういう悪知恵がはたらくイヤなタイプの丸坊主であった。もちろん外科医になるつもりも頭脳もまったくない。
やがて中学生になっても真剣に将来の夢について考えているわけもなく、ただ漫然と野球を続け、「高校進学はスポーツ推薦で行こっかなあ〜」とか考えていた。そんな矢先だった。
めっちゃ腰壊した〜〜〜〜〜……。
ある時期を境にキャッチャーだった私の腰に違和感が出始めていたのだが、
ある日その爆弾が炸裂。
病院に駆け込むと、「腰椎分離症」とのこと。
簡単にいうと腰の疲労骨折に近いものらしいが、私の場合無理がたたったのか更に症状が重い「腰椎滑り症」になりかけていた。もし完全に腰椎すべり症になった場合後遺症は避けられないそうなので、本当にギリギリだった。
とはいえ以前のような状態で野球が再開できるはずもなく、
リハビリも虚しく中学3年生の夏の総体を最後に、
私は野球をやめた。この時点で野球への未練、タラタラである。
その後やがて私は高校に進学したのだが、ここで求められるのもやっぱり部活動である。しかも我が校は部活動には必ず所属しなければいけない決まりがあったので、帰宅部は許されない。
なら野球部…とももちろん思ったが、こんな体ではレギュラーを勝ち取ることさえ厳しいだろう。野球への未練はここで断ち切らなければ。
腰痛というハンディを持っている時点で運動部という選択肢は潰えている。
ならば残された
「茶道部」「書道部」「吹奏楽部」「生物部」「美術部」の文化部の中から選ばなければならないが…。
茶道は俺絶対じっとしてられないしそもそも腰つらそうだし、
書道は俺左利きだから向いてないし、
吹奏楽部はほぼ運動部って聞くし、
生物部は俺サボテンすら枯らすから向いてない…。
というわけで消去法で「美術部」を選んだ。
非常に消極的な入部理由だが、
この選択がのちに私の人生を大きく変えることになる。
入部してからわかったが、我が校の美術部は美術の全国大会に十何年も連続で選抜されるほどの美術の強豪校だったらしい。
当然、部活の指導もスパルタである。デッサンだのパースだの遠近法だの、知らん単語を次々頭にぶち込まれて美術素人の私の脳は爆発寸前だった。クッソ〜騙された。普通に野球部よりしんどかった。
そうして入部から数ヶ月後、初めて描いた私の油絵がこれである。
は?なんかうまくね?
格付けチェックだったら確実に「才能あり」だろ。自分の才能に震えた。
いや、単純に顧問や先輩の指導が厳しいながらも非常に的確だったからいい絵が描けたのだと思う。だって私、つい半年前まで丸坊主ジャガイモ鼻くそ食べ食べ野球少年だったんだよ?(言い過ぎ)
もちろん絵なんて描いたこともなかったはずなのに。
頑張れば、こんなにいい絵が描けるんだ。厳しかった先生も先輩も絵が完成したときには「よく頑張った!」「いい絵だね」と褒めてくれて、人生で最も感動した瞬間だった。半年前の自分にこの絵を見せたら飛び出した目ん玉が地球一周して後頭部に激突するぐらい驚くんじゃないか?
そしてこの瞬間から、
私の中にある感情が芽生え始めた。
美大に行きたいかも…。
もっとたくさん絵を描きたい。もっと続ければ、もっと才能が開花するに違いない。私は顧問や家族に相談し、話し合いを重ね、
そして美大に進学するための技術を学ぶための「美術予備校」に通えることになった。
そして初めて美術予備校に出向く際、顧問にある一言を言われた。
「美大受験を甘く見ないでね。君は上手いけど、あくまでも高校美術の世界での話だよ。」
またまた…先生。私の上手さ知ってるでしょ?受験なんてチョチョイのJOYですよ。(フラグ)
甘かった。その後私は見事に、一瞬でフラグを回収した。
所詮私は井の中の蛙だった。
あんなに上手いと思っていた私の実力は美術予備校の中では下から数えた方が早いこと。私よりよっぽど才能のある奴がいること。美大受験は浪人が当たり前なほど過酷なこと。「美大に行きたいかも」なんていう甘っちょろい考え方ではすぐに蹴落とされる。
覚悟を決めねば、この戦争では勝ち残れない。
私は一切の慢心を捨て、日々努力を重ねた。ただただ手を動かした。
そして、時は過ぎ2021年の春。
私はようやく、都内でも有数の美大のデザイン科に合格することができた。
ようやく、という言葉からもわかるように、私は結果として2年の浪人を重ねた。「美大受験は甘くない」という顧問の言葉の意味。今でならわかる。
ここまで支えてくれた家族には本当に感謝しかない。
↑この画像からもわかるように、2年間でめちゃくちゃ上手くなっている。
同じ像ですよ?これ。初期の自分、本当に慢心していたんだなあ…。
そして更に時は過ぎ、現在。
大学4年生となり卒業を間近に控えた私は、大学構内の図書館でこの文章を執筆している。日本一美しいとも言われるこの図書館も、もう時期で見納めだ。寂しい。この4年間で私は多くのことを学び、そしてたくさんの人に作品を見てもらい、あの初めて油絵を完成させた時のような感動を何度も経験することができた。
とても幸せな4年間だった。
もし、中学の時に腰を壊していなかったら。
もし、高校で美術部に入部していなかったら。
今見ているこの景色もこの感情も、まったく違うものだったかもしれない。
でも私はこの未来を選んで良かったと、胸を張って言うことができる。
もしタイムスリップして中学生の自分へ何か言えるなら、
「想像もしていなかった未来が待ってるよ!」
とだけ言っておこう。
あ、あと「鼻くそは食べないように」は言っとこ。