エゴとの対話ではなく、真我との対話
心理学者のカール・ロジャースのこんな言葉がある。
「私の人生の目標は何か。私は何を求めているのか。私の目的は何か。これらは、すべての人が一度あるいは何度か、あるときは静かに自分を見つめながら、あるときは苦しい不安や絶望の中で、自分に向かって問う問いである。(中略)これらの問題はまた、すべての人が自分自身で、自分なりのやり方で、問い、答えなければならない問題でもある。」
自分との深い深い対話によって、ときには誰かに相談しながらも、しかし最終的には自分一人で辿り着かなければならない場所だ。
言い換えると、「自分しか辿り着けない場所」なのだ。
その対話はエゴとしてはならない。
エゴは常に不安や恐れから意見をしかけて来る。
「良い」「正しい」「安全」「嫌われない」「変に思われない」「お金が減らない」「愛される」「見捨てられない」と、無限に続く不安のモグラ叩きゲームにのまれる。
枕詞に「こうしておけば」と付けてみると、わかりやすいかもしれない。
「こうしておけば安全」「こうしておけば嫌われない」………
エゴではなく、真我と対話することでようやく不安と恐れのループから抜け出す糸口が見つかる。
臓器の感覚に神経を研ぎ澄ませて、本当に望むものに触れたときの反応はどんなものか。それが手がかりになるのではと、いまはそう思っている。
(みんな、明日の自分に、今日の自分が責任を持たなくていいんだよ。)