PTA改革の話(3)
私の娘は、生まれてから
A市(結構人口多い)→B市(割と田舎)→A市(PTAの副会長をした)→C市(なかなかの田舎)
と引越しているのだが、運動会のあり方が全く違っていて面白かった。
B市では1学年6クラスづついるぐらい人数が多いためか、児童だけの運動会(親は見に来ちゃダメ)
A市では1学年4クラスぐらいで、運動会自体無くなった。
C市では1学年4クラスぐらいで、種目を減らして、奇数学年を9時から10時まで。偶数学年を10時から11時までとして、入れ替え制にした。
このC市がなかなか良かったと思う。
私は子供の頃組体操で「サボテン」をやって、地面に胸から落ちて死んだかと思った事があるが、根性論の時代で、誰も助けに来てくれなかった絶望感を思い出したのだが、組体操を無くして、縄跳びの技で組体操風に見せるやり方をしていて、安心して見る事が出来た。敬老会にお茶を出すとかいう昭和なPTAの仕事も、来賓を呼ばないやり方で解消していた。
広報の方が3名ぐらい写真を撮っていた。昔はその写真を近隣の写真屋さんが提携して販売していたが今はみんなスマホがあるし、プライバシー保護の観点とかで、写真の販売なんてもう必要ないだろう。
他の学年の演技は、屋上から見下ろしたり、テレビ中継で各クラスで観られるようにしていて、なかなか考えられていたような気がする。
C市の家庭科の授業でミシンのボランティアを募集していて、娘の様子が見に行けるし、ミシンも好きだし、ボランティアに参加してみようかと思ってA市のママ友にA市の学校ではどんな感じが聞いてみると、
「2人兄弟のママ達で上の子の時仲良しのママ同士で行ったりするみたいだよー」と答えがきたので、ボランティアに参加するのをやめておいて、帰ってきた娘に聞いてみたら、
「仲良しのママ風の人が4人来たよ。」と言っていたので、4人も居るなら私は行かなくても大丈夫という事に落ち着いた。
A市のママに運動会の件を聞いてみた所、6年生だから伝統で何かを踊るとかそういう行事は全く無いので、お弁当も作らず済んで良かったそうだ。
修学旅行も野外宿泊も、無くなったり日帰りになったりしているようだが、
「今は家族や仲良しの友達や好きな人と一緒に行きたい場所に行ける時代だし、昔みたいに汽車に乗ることすら珍しかった時代じゃないんだから、修学旅行なんて必要ないわよ」と76歳の母は言っていた。
この時代にあったあり方というのが少しづつ見えて来ているのかもしれない。