3. バオバブから滑った話
こんにちは。眠りです。
◆ みんなで学ぶ「兆円の人」シリーズ
第3話目はバオバブの木が登場します。
今回も「兆円の人」の意外な側面を垣間見ることができる回です。(というか、そのためのNoteです。。)
メディアに登場する「マーケティング戦略に則ったカッコつけた姿」とはほど遠いかもしれませんが、同時にそれはきっと読者の皆さんの誰しもが共感できる姿であると思います。
なおシンガポールにはこの方のみならず、似たような「兆円の人」は他にも複数いて、例えば別のある方は、眠りのお友だちが懇意にしてるのですが、眠りは全くその方とはご縁がありません。お姿も拝見したことがありません。なんなら紹介すらされたこともありません笑。
よくあるのはここで「紹介してくれ」と頼んで知り合うことですが、これまで眠りは「紹介する側」としてまあまあたくさんの人たちをこの10年間で引き合わせてきましたが、人に頼んで知り合うケースでそのお二人が仲良く続くケースって、ビジネスで利害関係が一致したとかそういうことでない限り、例えば単にお友だちになりたいとかそういう動機ですと、まあまずうまくいかないんですよ。
これ、本当に不思議なんですけど大抵そうなんです。だからですね、ご縁があれば自ずと会うことになるのでわざわざ「手を伸ばさない」のがいいです。不自然な力が働いて、それは「タイミングが早い」のか「そもそも縁がなかった」のか、その辺りは神のみぞ知る采配ですので眠りごときには分析のしようがありませんが、とにかく、自然に任せるのが一番。
ご縁がなければ知らぬままであるのがいいのです。遠くから「あーあの人か」くらいに眺めているのがいい。
そうなるとその人はそこに居るはずなのにこちらとは無関係の世界にいるわけですからこういうことになります。
「居るけど、居ない」
「居ないみたいだけど、ちゃんと居る」
「居たとしても、居ないのと同じ」
だ、か、ら、
『会うこと自体に意味がある』のですねえ。意味がなければ会うことは決してありません。
なので読者の皆さまにとって、好きな人も嫌いな人も、カッコいい人もカッコ悪い人も、どんな人であれ、こんにちはと顔を付き合わせる距離の関係となったのであればそれはもう「ご縁がある」ということになるわけなので、どうしてこの人と知り合うことになったんだろ?そこからどんな学びが自分にとって得られるのかな!と思い巡らせることで、相手を嫌おうが好こうが、マイナス20からでもプラス20からでも「同じ20の経験値」というものが得られることが腹落ちするはずです。
少なくとも眠りはそう思って常々人と接するようにしています。
そうするとどんないいことがあるかと言うとですね笑、仮に自分にとってどんなに嫌う人が出てきたとしても、「嫌い」の数値が高ければ高いほど、その経験値が大きくなるわけなので、
『楽しみぃ〜♬』
(UCHIDA1風に)
になるわけです笑
どうですかこれ、
最強のメンタルじゃないですか。
え…!この山場を乗り越えたら私、一体どんな大きな経験値を手にしてしまうのかしら!?パワーアップすること間違いなしじゃない???こりゃあ楽しみで仕方ないわぁ〜〜〜ウシシシシ…
最後は育ちの悪さがつい出てしまいましたが、、したたか過ぎるBBAの独り言ではありますが、良いも悪いも結局のところ、それを決めているのは「俯瞰ができない、小さなエゴの自分」に過ぎず、大きく捉えてみると、どんなことも自分にとって必要だからこそ起こることであり、出会う人なのです。
「兆円の人」のみならず「億円の人々」たちもまた、このメンタルで生きている人がたくさんいますから、ぜひ読者の皆さまにおかれましても即マネしていただけるといいんじゃないかなーと思います!!
それではバオバブの木の話に入りま〜す。
シンガポールの、とある島には、世界中から集まった、とんでもないレベルの富裕層がたくさん住んでいます。今でこそ、遊園地やカジノが建てられ、ロープウェイで行き来できるなどして整ってはいますが、それこそ一昔前は大砲が転がっていたりとなかなかに荒れ果てており、二束三文で売られていたそうです。
その時に買わないかと持ちかけられた方が「あの時はこんなに地価が上がる場所には見えなかったのよね…買っておけばよかった!」と後悔していました。ご愁傷様ですが、まさにあとの祭りですね。
そしてその島の一角には、住民しか入れないプライベートエリアが設けられています。
プライベートエリアとパブリックエリアとの境には検問所があり、住民などの関係者しか入ることができないのですが、その検問所の向こうにはひと際大きな木が生えているのが遠目にもわかります。
それが、バオバブの木です。
ある時、「兆円の人」が少し不機嫌な様子で眠りの元にいらっしゃいました。…寝不足なのだろうか。理由を聞いてみました。
「今日はどうかされたんですか」
すると、「肋骨にヒビが入っていて少し痛い」と言います。それは確かに不機嫌な顔になるよなあと思い、「どうされたんですか」と問いただすと、
「木から落ちた」
…へ?
木に…登ったと??
御年70で…よもや木登りを???
朝に珍しく散歩に出たらそこにバオバブの木があり、眺めていたら「急に登ってみたくなった」ので手と足を幹にかけて登ろうとしたそうです。そしたら「木の蜜で滑って落ちた」ということでした。
朝も早くで周りに人がいないので、ここぞとばかりに張り切って登ろうとしたそうですが…その結果、肋骨にヒビが入ったという…
不機嫌だったのは「痛い」のもそうですが、「蜜で滑って落ちたことが恥ずかしい」からのようでした。本当はもっとそこをいじって笑い倒してやりたかったのですが、お気の毒なのでやめておきました。
だって、面白過ぎますよね。
「木に登ろうとした70過ぎの爺さんが
蜜で滑ってヒビ入る」
70過ぎて木に登りたくなったのとか、
蜜に気づかずに滑って落ちたのとか、
ヒビが入っても周りに秘密にしてるのとか、
色々とおもしろポイントがあって微笑ましい限りなのですが、バツが悪そうにこの時はずっと「不機嫌な顔を作って」おられました。
蜜で滑ったのはうっかりミスだとは思いますが笑、「自分が登りたいと思ったから登った」という、素直な気持ちをそのまま行動に移すあたり、やはり「思ったことを行動に移すチカラ」が相当に強いのだなあと改めて感心した次第です。
思ったことを行動に移すチカラが強いほど、そして早いほど、失敗したとしてもそれを経験として次の行動での成功率が確実に上がっていくことになります。普段からのこういった何気ないエピソードからも、好奇心の強さやそれを行動に移す実行力が窺い知れるものなのだなあと感じました。
死を間際にしたお年寄りに「後悔していることは?」と聞くとそのほとんどの人が「やろうと思っていたのにやっていないこと」を挙げるそうです。
「兆円の人」のそれはこういった「普通の人たち」の後悔を踏み潰していく行動力だと思いませんか。これ、すぐにでも真似して後悔のない人生を歩いてみたくないですか。
眠りがこのエピソードから学んだことは、
◆やりたい時にそれをすぐやる
◆バオバブの蜜には気をつける
この2点です。
皆さんもぜひ、バオバブの木に登るときはくれぐれも蜜には注意なさってくださいね。肋骨にヒビが入りますから。かしこ。