臨済宗大徳寺派の禅僧・全提要宗(傳衣室、1871-1940)の使用印。 「青山十畝白流水一春香」 出典は明の詩人・王稚登の「看梅過玄墓山中二首」の第三・四句目。 いつも「山」と「十」を「牛」と読んでしまい、意味が不明になる。 23121
豊後の文人画家・甲斐乕山(かい・こざん、1867-1961)の使用印。 「襟上杭州舊酒痕」 出典は白居易の七律「故衫」の第四句目。むかし杭州で飲んだ酒の滲みが襟にのこっている、というような意味か。 唐時代の酒は衣服に付いたら滲みになったのだろうか。「襟」の本字は「衣扁に金」で構成されているらしい。 20170
北方心泉(きたがた・しんせん、1850-1905)の使用印。 「聽松閣」 「聴松閣」は金沢の自坊 常福寺につけられた雅名。 手許にある本岡三郎編『北方心泉〔人と芸術〕』(二玄社、1982)の印譜には掲載されていなかったので。当該書には同じ印文の朱文単郭長円印が収録されている。そちらは野上史郎氏の解説によれば、徐三庚から贈られた三顆組印のひとつ、という(解説には所在不明とある)。 18309
引き続き、島地黙雷(しまじ・もくらい、1838-1911)の使用印。 「隨處樂」 出典はよくわからない。禅語「随処作主」から派生した、というふうな解説もあったが。島地黙雷の冠帽印で頻繁に目にする「也太奇」もよく知られた禅語。赤松連城もそうだったが、明治期の真宗僧の文人的側面と受け取ることができる。 19092
引き続き、島地黙雷(しまじ・もくらい、1838-1911)の使用印。 「自淨其意」 七仏通誡偈とよばれる「諸悪莫作衆善奉行自浄其意是諸仏教」という仏の教えの根本をシンプルに言い表した句から。こうして並べてみると「是諸仏教」という印文の印章もあるのかな?と気になる。 19143
島地黙雷(しまじ・もくらい、1838-1911)の使用印。 「諸悪莫作衆善奉行」 木邨鐵畊編『雲笈印範』という印譜を実見したことはないが、西尾市岩瀬文庫の解題によると、その第四輯に「島地雨田」の印章が収録されているとある。第貳集には赤松連城の名前もみえる。ほかにも南條文雄・渥美契縁・鴻雪爪・蘆津実全といった諸宗派の高僧の名前が蔵印家として挙がる。 19472
引き続き、赤松連城(あかまつ・れんじょう、1841-1919)の使用印。 「无所住」 『金剛般若経』に「応無所住而生其心」という語があるそうで。宗門の人間ではないので全く解らないのだが、浄土教典ではない仏典から採っている。所謂「禅語」的な語句を好んで使用するあたりが、現代的な宗派的境界をあまり意識させない明治期の学僧の自由闊達な在り様をうかがわせる。 18153
赤松連城(あかまつ・れんじょう、1841-1919)の使用印。 「何事如無」 出典はよくわからない。似たような言葉で「好事不如無」がある。 印影だけなので篆刻家については不明。手許に無いのではっきりしないが、中田勇次郎の著作の日本印人伝に赤松連城が篆刻家として挙げられていたので、自刻印なのかもしれない。明治期を代表する本願寺派の傑僧のひとりである赤松連城の篆刻家としての側面が現代にあまり伝わっていないことは惜しまれる。 18158