待つこと
森島さんは、お店をオープンして間もない頃に娘さんとご来店された。
娘さんが私の姉の同級生ということと、フランスの地方菓子で大きな丸いクッキー、ブロワイエを東京で食べたことがあると言っていたので、もしかしてvironですか。と尋ねると、そうです!と嬉しそうにお話してくれた。
私はそのvironに勤めていたので、娘さんが食べた時の物も私が作ったものかもしれませんと話すと、3人で笑った。
森島さんの家業の酒屋さんが近くにあったのもありよくお店に来てくれていて、
口数はそんなに多い方じゃなかったけどいつも、あれ美味しかったよ〜。でも名前が覚えられないや。と笑顔で伝えてくれた。
仲良しのお友達がいて、よく一緒にお店に来てくれていた。
その内の1人がお菓子教室はやらないの?としつこく聞いてきていたので、他の3人が困らせたらダメだよと言って、笑った。
森島さんが来てくれた時間は、いつも笑顔が溢れていた。
4年ほど経った時、森島さんの娘さんがお店に来て私の顔を見るなり泣き出してしまった。
母が、病気になってしまって..。
となんとか絞り出して、また泣いてしまった。
もう既にあまり良い状況ではないのかなと悟ってしまったけど私はなんとか励ましたくて、他のお客さんの存在をお借りして勇気づけようとした。
お客さんでもガンになってしまった方が何人かいて、今治療中なんです。
手術で取れた方もいるし、今は医療が進んでいるから...。
と言った所で娘さんは我に返ったような顔付きで、森島さんの病状を知らない私を気遣って、そうですよね。と取り繕った笑顔で返してくれた。
森島さんがお店に来て、たとえどんな姿だとしても、驚いたり過度に反応したりしないと決めていた。
そういうことは、得意だと自負していた。
森島さんがお店に来てくれたのは、その後2回だけだった。
元々痩せているタイプだったけど、やはり食べられないことが続いているのか頬が痩け、頭にはウィッグを被っていた。
添加物がとても気になるようになって、でもここのお菓子は食べられるの。
これからはそんなに来れなくなるけど...。
と、嬉しそうに、そして寂しそうに教えてくれた。
私、待ってますから。
ちゃんとここでお店やってますから、早く治してまた来て下さいね!
と、涙が出そうになるのをぐっと堪えてなんとか言い切った。
その後何ヶ月か経ったある日娘さんの旦那さんがお店に来て、
今入院していて、食べられるものがなかなか無いこと。
その後自宅療養になること。を教えてくれた。
直感的に、最後の段階なんだと思った。
1週間空けて、私は勇気を出して森島さんに電話をすることにした。
ダメで元々。
もし出てくれたら、少しでとお話しできたら。と願いを込めて。
3コールのあと、森島さんが驚いたように電話に出てくれた。
こんにちは。どうしたの?
入院されたって伺って..。お加減どうかなと思って電話してみました。
ありがとう。入院してても良くはならないから、もう退院してきたのよ。もうお店には行けないけど..SNSは見てるからね。
そうでしたか。食べられないのが辛いですよね。
またお電話させてもらいますね。
気にかけてくれてありがとう。
頑張ってね!
そんな、短いお電話。
後から聞いたらこの電話の後ぐらいから声も出せなくなってしまったようで、私がお話できる最後のチャンスだったそう。
何か食べられるものをと思って、私はその日に作った果物のコンフィチュールをご自宅に届けることに。
娘さんによると、すごく喜んでヨーグルトと一緒に食べてみると言っていたそう。食べたいと思ってくれたその気持ちが嬉しかった。
娘さん達がまたそのお礼を持ってきてくれたから、私もお礼の電話をしてみたけど、もう森島さんが電話に出ることはなかった。
6月下旬になって、娘さんが森島さんが亡くなったことを知らせてくれた。
悲しくて悲しくてボロボロと泣いてしまいたかったけど、そうしたいのは娘さんだろうと思って必死に堪えた。
悲しいけど、日常は進みますね。と娘さんさんが言って帰って行った。
大好きな森島さん。
行かないでほしかった。
娘さんの姿が見えなくなって、1粒涙が溢れた所で、次のお客さんが来てまた日常が進んでいた。
家族でも友達でも無い、行きつけのお店の人。
どんな存在だったのだろう。
少しは支えになれたんだろうか。
それでもやっぱり寂しくて、あの時こうしていればと思うものなんだと身に染みた。
私はまだ待っている、そして日常は進んでいく。