小学校でイジメられた私の話とその小学校へ息子が入学した話
私は小学校というのがすごく苦手であった
特段楽しい授業もなく
気のあった友人もいない
あの頃はまだ発達障害や多様性という言葉も概念もなかった
判を押したような行動が求められた
「適当に2人組作って」
「5人でグループになって」
地獄のような指示である
皆すすんでは私に声を掛けず
だいたいは余ってしまって人数の足らないグループに入れてもらった
私は一人で絵を描いて過ごすようなタイプだったし
休み時間と放課後は図書室によくいた
割と思った事を悪気なく相手に言ってしまう
自分が持っている好きな物は正直に自慢する
そんなこんなで知らずのうちに嫌われるような子だった
人と合わせるというのも出来なかったし
とにかくマイワールド全開でマイペース
「独特の世界観がある」と通知表に書かれる始末
たぶんちょっと変な子だったのだと思う
誰かを仲間はずれにして
他の子の結束を硬くする
というのは人間関係の常套手段である
共通の敵を作ることにより
残りの人間関係を円滑にする
割と国家規模で見られる光景である
そんな光景は小学校のクラス内という小さな国でも勿論起こる
しかも人数が少ない上に毎日絶対顔をあわす
逃げ場がない
ちょっと変わったマイワールド系女子の私は
女子の仲間外れ遊びの格好の餌食であった
友達と遊びたかった
みんなと仲良くしたかった
でも興味が湧く子も特段いなかった
便乗した男子にも散々揶揄われた
お腹を突然殴られたことがあった
ランドセルにガチャガチャカプセルにいれた虫を入れられた事もあった
まぁつまりいじめられていた
ついでにクラスは学級崩壊もしていた
私へのいじめを巡り
学級会は幾度となく開かれたが
毎回晒し者になる気持ちだったし
全然改善の兆候もない
早く帰りたかった
これまた正直に私が「面倒くさい」と呟くと
先生に「あんたのために開くのよ」と怒られたことがある
頼んでねぇよと思ったし
私の為じゃなくて暴力振るやつをどうにかする為にじゃないのか…と絶望した
平たく言うと地獄だったけど
中学受験を控えていたのであまり休むと内申も下がる
あとは絶対私が悪い訳じゃないと思ってたので
こいつらのせいで登校拒否ってのも癪だと思った
何度も休みはしたけど
不登校にはならなかった
幸い通っていた塾には仲の良い友達がいた
休みの日はよく遊んだ
塾の子は面白い子が多かった
価値観が似ていたのもあると思う
そんなこんなで小学校が嫌いだった
極め付けは卒業後に何か物を小学校に取りに行った時
担任の先生がわざわざ呼び止めて励まし?をしてきたことだ
「あなたのこと本当に心配してたのよ」
「大丈夫かなってずっと気にかけてたのよ」
どう見ても大丈夫じゃなかったじゃないですか先生
普通に腹パンされてましたやん
気にかけるとかいうレベル超えてましたやん
卒業後に言われてもなぁ…
涙を流しながら「卒業出来て良かったね」と感動を演出してくる先生を見て
どんどん気持ちが冷めていった
怒りもなかったし早く終わりたかった
二度と会いたくもなかった
「先生、心配かけてすいませんでした。私は全然大丈夫です」
そう言ってその場を去った
その後噂で
その先生のクラスで再び学級崩壊し
病んでしまって退職してしまったと聞いた
思い返して
本当に良い思い出がない小学校
正直あんまり覚えてない
記憶から優先的に消されていってるんだと思う
そんなマイペースマイワールドの私はその後
私立の中学校へ入学して
無事友達も出来たし
没頭する部活もあったので
その後は楽しく学生生活をエンジョイした
めでたしめでたし
今
再び忌まわしき小学校に足を踏み入れる時が来た
生まれ育った街にそのまま住んで結婚し息子を産んだ
つまり息子は私の通った小学校へ通うのだ
そして今年一年生になる
トラウマ再び
息子は発達障害があるのもあり
とても心配だった
いじめられるんじゃないか
学校嫌いになるんじゃないか
友達ができなかったら…
支援級に行くか一般級に行くかというのもあり
事前に見学に行くことにした
校舎はあの頃のままだったが
教室の配置や備品が少し変わっていた
クーラーがついたり大きなテレビモニターがついたのは最近のことらしい
当たり前だが当時の先生は1人もいなかった
明るく明朗な校長先生に出迎えられた
私が通っていた時にはなかった
個別支援級というのが何クラスも出来ていて
当時「変わり者」と言われていたような一緒に授業を受けていた子達が通っているのだなぁと率直に思った
支援級は人数も少なく
クールダウンできる場所があったり
一般級ではまだ導入されていないタブレット学習などが子どもに合わせて使われていた
「校長先生ー今日は寝ないで授業受けてるよー」とおっとりした女の子が言った
「偉いじゃない!頑張ってるね!」校長先生が笑顔で答えた
「こんにちは!ようこそいらっしゃいました!」
元気に挨拶してくれる男の子もいた
とても日当たりの良い支援級のクラスを見て思った
私が小学校に通っていたあの時
もしこの支援級があったのなら
このクラスに私がいたかもしれない
このクラスに私を腹パンしたあの子がいたかもしれない
そしてもう少し安心して学校に通ったかもしれない
もう少し学校が好きだったかもしれない
校舎は一緒だけど
もうあの頃の私が通った小学校とは違うんだなぁと思った
それでもあのクラス一つ一つに小さな国が存在していて
様々な人間関係が詰まってるのだけれど
校長先生は私に言った
「支援級も一般級もどっちが優れているとかはないですよ。どっちがお子さんに合うか、どっちが伸び伸び過ごせるか選択できるということです」
その後何度か見学と面談を経て
息子を支援級に通わせることにした
あの頃の私が支援級をお勧めしてきたような気がした
小さな国はなるべく穏やかな優しい国であって欲しい
どうか平穏に過ごしてほしいし
誠に勝手ながら
息子には小学校を好きになってほしいと思っている
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