甲状腺乳頭癌の話5 癌になって考えたこと
自分が癌になって、初めて「死」というものを真剣に考えるようになりました。
自分の病状はそこまで切迫してはいませんでしたが、いつ転移するか分からないというリスクはあるわけですから、
「でもたぶんそんなことは自分にはしばらく起こらないだろう」
なんていう楽観的な発想はなく、気がつくと、ある日突然、余命宣告されるといった悲観的な発想ばかりが、頭をよぎったのでした。
そしてそうなった時の自分の取るべき態度などを想定しておこうと、つまり「どう死にたいか」を考え始めました。
もし死が近づいていると分かったら、
仕事はすぐに辞めるのか、日常生活を淡々と続けるのか、旅行に行ったりするのか、友人たちに連絡を取るのか、写真などは早めに捨ててしまおう、子供はもう作れないな、貯金は使ってしまうか、いや夫のために残していったほうがいいか、いずれにしろ美しくありたいなあ、など。
ふと、今そこまで考える必要があるのかな?という思いが巡ってきます。
日本人女性の平均寿命が87年なら、自分もそれくらい生き延びる可能性があります。
このまま何事もなく過ごしていけるのなら、今からこんなこと考えてもしょうがないし、これから40年以上生きる事の方をしっかり想定しようと。
でも、実際に今、癌に罹っているから40年のことは考えにくいな、などと行ったり来たりするのです。
そして、もし余命宣告されても、何事もなくても
無理せず、その時その時の自分にとって好きな事をして過ごしたい
ということに落ち着いたのでした。
結局「どう死にたいか」とは、「どう生きたいか」と一緒なんだな、と、色々悩まずに辿り着けそうなシンプルなところに、ようやく至ったのでした。
それまで何も考えてこなかった能天気さを痛感しました。
そして、このような10年前の自分のことを思い出しながら、結局このあと同じような堂々巡りをしている現在の自分、進化のない自分を、さらに恥ずかしく感じるのでした。
なぜ同じことを繰り返すのか、症状悪化も忘れた頃にやってくるからです。→ 続く
お読みいただき、ありがとうございました。
追記:見出し画像は、「みんなのフォトギャラリー」から選択し、narukuniさんからお借りしました。ありがとうございます!