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【長編小説】真夏の死角 41 佐々木周平の操り人形小谷周平

 高校時代の僕のことはまだ話していなかったね。君とは本当にいろいろな話をしたけど、それはきっかけがなかったのではなくて、あまりにも僕、佐々木周平のことを赤裸々に話すことになるから避けていたんだ。

 大人に出会ってから、しかも与党有力議員の秘書と在京キー局の報道関係者という立場だったのに、僕等はまるで高校生のようにいろんな話をしたね。でも、肝心の高校生の時のことは何も言っていなかった。それまで、佐々木周平として田舎でどんな生活を送っていたか、何を考えていたか、あるいは何も考えていなかったか、そういうことはほとんど食事をしながら、君と君の旦那さんに隠れて不倫旅行をしながら、そして、昼間の空いた時間に都内のシティホテルのベッドの上で語り尽くしたと思う。

 でも高校時代の話はまだだった。それまで僕は佐々木周平として田舎で朴訥に人生を歩み始め、たまにやってくる実父らしい男が来ても、なんら小谷の実子だということを意識することもなかった。血の繋がった兄が地盤を含めてすべて継ぐことは当たり前すぎて、なんの疑問を持つこともなかった。ところが、まず名前が変わったわけだ。

 小谷周平。

 初登校の教室で、僕は以前からそうであったかのように堂々と自分の自己紹介をした。高校はいわゆる関東の御三家というところのひとつだった。創業者の当部電鉄の創業者がその高校の創立者でもあって、それが小谷とは親戚だからだよ。田舎で受験勉強なんて考えてもいなかった人間が、あんな学校に入れるわけないし、第一あの高校は中学からのみで高校受験なんて受け入れていないから、高校一年の途中入学なんておかしいよね。

 そういう訳で、どこからどう分かったのかしらないけど、初登校の日にはすでに、僕が小谷三郎の息子だとういことは公然の秘密になっていたんだ。いや違うな。これは世の中どこでもそうなんだけど、もちろんあの一人ひとりがプライドの高いあの高校の生徒であっても、小谷三郎の息子と仲良くなっておこうという人間は出てくるものだ。それが、自然と僕の望まないところで取り巻きを作ったので、すぐに僕の正体は公然の事実となっていたんだ。

 それを照れたり、五月蝿がるふりをしたり、もしくは図に乗って裸の王様になったりはもちろんしなかった。なぜって、僕は佐々木周平だったからね。名字を母親の名字から父のそれに変え、そして名前の漢字も変えた。小谷周平というのが一人歩きをして、高校生活がスタートしたものだから、返って好都合だったんだ。分かるかい?

 僕はまるで離人症患者のように、佐々木周平から小谷周平を眺めるようにして、佐々木周平が小谷周平を操って生きていくというのが僕の日常生活になった。

 これは精神科医がわざわざ分析しなくても、思春期の男子高校生としてはいつ精神病院にお世話になっても良いような捻くれた自我がそこに危険に誕生したことを意味したんだ。

 ところが、僕はそれを楽しめたんだ。自分の二重性、本物の自分と与えられた自分。この二つに普通はや悩むんだろうけど、ぼくはその二重生活を解離性人格として自分で仕上げようとしたんだ。

 精神分裂病、多重人格を、自分が手に入れたひとつのアイデンティティにしてしまおう。そう思ったんだ。

 なぜそう思ったのだろうか。

 人生なんて所詮虚しいものだと達観していたのだろうか。それとも、小谷周平になればオイシイ思いができると思ったのだろうか。それとも、母との貧乏生活はそれはそれで忘れたくなかったんだろうか。

 それはいずれも当たっているかもしれない。

 でも、一番の理由は僕にはどうも、この人生そのものが、もともと何だか映画館の中のスクリーンの中の出来事のようにしか思えなかったんだ。生きている実感が岩手県の散居村にいたときからどうしても持てなかった。

 それは、やはり小さい頃から、父親の人格になりきって、代議士の御礼状の代筆をずっとやっていたからだろう。父に会えない寂しさというのは、もちろん当然あったわけだ。でも、普通に父と会えないということではなく、このケースでは、そういうことがありえないということ。実の兄と自分との生まれの違いは、この世界では決定的であり、自分は影武者のように生きることしかできないこと、それを少しでも踏み外すと、この日本という国にすらも何かしら不吉な出来事が起きるかもしれないという、漠然とした、でも確かなあの底しれぬ恐怖感。

 そんな思いを僕は母に訴えることもなく、その恐怖と理不尽さとみじめさと途方もない悲しさに涙をながすこともなく、涙がでる前に、与えられた葉書を完璧に書くことにぶつけていったんだ。

 小谷三郎になりきることで、僕はぼくの理不尽さとみじめさと途方もない悲しさと、父を求める気持ちを断ち切って、普通のこどもが最初から父に愛されていたのでもなく、小さい頃は愛されなかったとしても、その後父子関係を段々とつかんでいった子供のように徐々に父に近づくのではなく、僕は僕の想像の世界で、満たされなかった父親の愛をひたすら自分で創作したんだ。

 僕の創作する代筆の中での小谷三郎は、大胆で、豪放で、磊落で、それでいて人情味のある、一度悩みを聞いたら一生忘れない、そしてそっと、それを持ち出すでもなく魔法のように解決してあげて、そして相手が平身低頭で感謝すると、あれ、そんなことありましたっけってね……。そんな素晴らしい人間だったよ。僕が、僕の会えない、抱きしめられることが一生かなわない人間は、きっとそういう人間に違いなりと思いたかったから。

 時々、君たちマスコミが、小谷三郎を極悪人のように新聞テレビで報道していることは母は僕の目に触れないようにしていたけど、実はよく知っていたよ。でもそれはどうでもよかったんだ。僕は僕の理想の父親を礼状の中で書き、そしてそれは小説家志望のニートのように、いつか小説つ新人賞を取ってこの世の中をひっくり返してやろうみたいな唾棄すべき妄想でもなかった。

 僕の礼状に創作された父親は、礼状に乗って有権者の家庭に配られ、そしてそこで、有権者は小谷三郎の素晴らしさに感激し、そして実際に時々自分の人生を解決してくれた。小谷三郎本人は何も知らないところで、実際に小谷が動くべき時は、当時から小谷の秘書を通じて僕がそれとなく話を伝えていたんだ。だから、今書いていて気がついたけど、僕はすでに小学校の時から小谷三郎の秘書だったのかもしれないね。

 そう。

 だから、小学生の当時から僕は小谷三郎と佐々木周平の二重生活をしていたんだよ。

 それが、僕がすんなりと新しい高校で、小谷周平と佐々木周平の解離性人格人生を行きていこう、それを高校生活にしようとしたことにつながったんだ。

 だから、精神科医が心配するような青年期の自我形成の失敗なんてものは考えられなかった。だってそうなるのなら、すでに小学校の時に発病しているはずだもんね。

 そうそう。

 君が確かマスコミに入社した理由は、この世の中を演劇的に再構成して、大げさなテレビの作り事、仮象の世界がむしろ世界の正義を実現するのに必要だということだったね。確かそれで、大学生の時に付き合っていた彼氏と分かれてしまった。そんな話を聞いたことがある。確か彼氏はいま、どっかの警察でそれなりの地位にいるんだっけね……。

 まあ、だからさ。

 言ってみれば、君もまた僕と同じように、この世の中の作り事の部分と本当の自分という二重星の中に生きている、生きてきたことによって、何過去をひきずり、そして、現在に自分では気が付かないレベルで、しかし重大な世界の亀裂を弾い起こす大事件を創出するような危ない橋を渡ってきたんだよ。

 それがきっと僕等がお互いに惹かれた理由だったのだろうね。

 君は君で、虚構の世界と現実の世界の二重性に翻弄されて生きてきた人なんだと思う。もしかすると分かれたその警察官もずっと君と同じ様な形で人生に苦慮、いや、地獄を生きてきたのかもしれないね。

 
 話をもとに戻そう。
 僕の高校時代の女性関係の話をしようかな。
 最愛の人に最初で最後の手紙を出す。
 自分の高校時代の彼女の話をするのもいいだろう。

 いや、もしかすると、僕は君がさっきの警察官になった元彼氏の話をしていたときにその彼に嫉妬していたのかもしれないね。きっとそうだよ。だから、今もこんな風にその話をしているんだと思う。

 でも、嫉妬だけじゃない。もしかすると、その彼とは、僕は友達になれたかもしれないな、とその時思ったんだよ。僕はもちろん誰一人友達なんていない。解離性人格を楽しもうなんて言う人間に友だちができるわけがないよね。
 なんだか君が話すその人にはどこかで興味があった。興味があったというより、あって話がしたいなと思ったこともある。東京地検特捜部の検事でもない限り、普通の刑事だと将来接点もないだろうけど、もし接点ができたらいいな、なんてその時思っていたんだよ。

 僕の高校の時の彼女の話ね。

 君のようなロマンチックな話ではない。

 ずっといっしょだったのは、高校生売春組織のリーダーだった女の子だ。自分でもやってたよ。つまり、僕は彼女の客の一人だったんだ。

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