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Alone Again...タロット(1/全17回)
目が覚めると、いつものような平凡な朝だった。
朝といっても自分にとって目が覚める時間を朝と名付けているだけのことだ。時計代わりのiPhoneを見ると、アスファルトに落として亀裂の入ったディスプレイの後ろに『16:00』という文字が、掠れたような白さで浮かび上がっていた。
寝たままでつけられるように紐を伸ばした蛍光灯の明かりをつけ、体を横にして、昨夜飲みかけにしておいたウイスキーのグラスを左手で掴む。
いつもと同じように、濃いバーボンがロックアイスとともに、ひどく情けなく薄まっていた。これにいきなり右手の人差指を突っ込んで、マドラーのように撹拌する。それが習慣になって、二年が過ぎようとしている。
そうだ。もうこんな日々が、二年も経つんだな。
枕元に乱雑に放り出されたタロットカードを眺めながらそう思った。
泥酔して布団に潜り込み、いつものあの曲をかけながら意識が薄れていくのをひたすらに祈る、そんな日々だ。そして、起き抜けに残り酒を大切に飲みながら、あの曲をまた聴く。
Gilbert O'Sullivanの『Alone Again』。
まだ自分に良心といえるものが残っていた頃に涙した曲だった。
今ではもう泣くこともない。ただ、自分がかつて、人並みに涙を流せる人間であったことくらいはせめて忘れたくはなかった。それを感傷と呼ぶのはたやすいことだが、人は人が嗤うようなものさえ、最後に大事にしないと生きていけないものなのだ。
こんなくたびれた詐欺占い師にも、まだ、大切なものが残っている。そう思うと、ようやく効いてきた薄酒の効果もあって、気持ちに少し光がさす。
俺がねぐらにしているボロアパートの一室には、この時間にはすでに西日が差しこんでくる。そのオレンジ色の西日を、いつからか朝日だと自分に言い聞かせるようにしていた。オレンジ色の西日を目を細めてみると、その日初めての光が輝いているかのように――そう、まるで朝日のように見えるのだ。
どうか、その朝日が自分のこの心にまで届くように……祈った。
アル中の詐欺占い師だって、朝日くらいは浴びたいのだ。そう、人並みに……ね。
そして、今日も俺は「仕事」に繰り出す。
新宿の西口のガード下が俺のショバだ。アスファルトが傾斜しており、普通に占いをするための机を出すと、地球の重力に従って机が斜めになるんだが……今は、かたむいた方の足の下に、ボロボロになった新聞紙の束がつめられている。
傾いていても気にせず占いをしていたのだが、いつだったか、見かねたホームレスが自分の薄汚れた拾い物のトートバッグを大事そうに開けて新聞紙を出してくれたのだ。
「兄ちゃん、これ、下に敷きなよ。傾いてるぜ」
あの時、なんて人懐こい笑顔をする男なんだろう、と思った。この笑顔さえあれば、こんなところで路上生活しなくても一流の接客ができ、一流の営業マンになれたはずだろうにな。いや、あるいは、数年前はあの男は実際に一流のビジネスマンだったのかも知れない。
そう思って礼を言い、頭を下げた時の、男の嬉しそうな笑顔が忘れられない。前歯はほとんど抜け落ちていた。真っ白い歯を期待してしまったんだがな……。
身を切る夜風に上着の裾をつかみながら、今日の最初の客を待つ。
たしか、二人ほど会社帰りと思われる二〇代後半の女性を連続で占ったのが一番最初だったか。ふたりとも大満足して、黄色い声をあげながら俺の占いを褒め称えた。
俺がやる占いは「タロット占い」だ。しかし……タロット占いなんてものは、実はまるで分からない。かつて占いをやったこともないし、占ってもらったことも一度も無かったからな。
ではなぜ、タロット占い師として、最低限の酒代が稼げているのか。
懐から一冊の色あせたノートを取り出して、パラパラめくる。
もう何度も何度も読み直した。書いてあることはもう、すべて完璧に頭の中にたたきこんであるが、ヒマな時間にこうして読み直すクセがついてしまっていた。
こいつは、まだ俺が高利貸しの営業をやっているときに追い詰めた占い師からもらったものだった。
返済に窮した男は「たのむ、このノートをあげるから足りない分は見逃してくれ」と、鼻水を垂らしながら俺の前で土下座してみせたのだ。
上司からは、最低でも半分回収してこいと言われていた。それはすでに回収済みだったからそんなノートは要らなかったのだ。だが、くれるというのだからもらっておいた。
『そのノートはきっとあんたが本当に困ったときに役に立つよ。嘘じゃない、約束する』
……おやおや、さてはこいつはDEATH NOTEかい?
あいにくと、俺には私憤でノートに書きたい人間も、公憤でノートに書きたい人間もいない。あのノートに書くには少なくとも、いったんは人間を信じて裏切られたり、いったんは世間を信じて裏切られたりして絶望した経験が必要なはずだからな。
ところが俺にはそんな経験はなかった。最初から人間にも世間にもなんの期待も持っていなかった。あるいは、失っていたのかもしれないが。
しかし、あの占い師の言ったことは本当だった。そのすぐ後、会社の上司と口論になって辞表を叩きつけた俺は、文字通りすぐに路頭に迷った。とにかくアパートを立ち退かなくてはならなくなってしまったのだ。そんな、あわただしく荷造りをしている時に、見つけたのがこのノートだった。
そのままゴミ箱に放り込もうとも思ったが、なぜだか男の言葉を思い出したのだった。
「本当に困ったときに役に立つよ」……か。
口の端をちょっと上に上げるように一人笑いしながら、あの時と同じように、俺はノートを最初からめくってみた。
ノートにはびっしりと、占い詐欺のやり方が載っている。
まるで百科全書のようにいろいろなテクニックが書いてある。
それを直感的に使えると思ったのだ。これでも普通の人間が経験したことのないような修羅場をたくさんくぐってきた。やくざの取り立てだってやったことがあるし、拳銃で撃たれたこともある。
やれやれ、今日の俺は……やけに感傷的だな。酒がまだ抜けていないか?
一番最初に酒を飲んだ時と同じように、全身に鳥肌が立つのを感じる。
西日を朝日に重ねるような、あのボロアパートへ引っ越してから、地下街のホームレス臭のきつい薄暗い西新宿に店を出すようになって二年が経っていた。
『人は、自分が信じたいものを信じる。
徹底的にこの心理を利用せよ。』
これが、このノートの始めから終わりまでを貫いている哲学だ。単なる断片ではなく、計画犯罪を犯す者だけが持っているある種のふてぶてしい信念が確固として貫かれていた。
ノートには、一つの例と、(カッコ)の中に、あの占い師の書き込みと思わしきものがびっしりと記されていた。
こんな感じだ。
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あなたは過去の実らなかった恋愛に、今でも大きく左右されているようですね。
(過去に失恋を経験したことのない人間はほとんどいないし、人は失恋の経験すら特別なものであったと信じたがる、そこを狙え)
相手はあなたのことにとてもに惹かれていますが、それを態度に出さないように努力しているようですね。
(態度に出ないのだったら、実際惹かれているかどうかなんて分かるわけがない。しかしその態度の裏にはあなたへの愛に照れる一人の男がいる。人はだれもそう信じたいものだ。そこを狙え)
相手はあなたのことを友達ではなく一人の女性として見ているようです。時々彼の目を見たいと思ったときに思わず目があったりしませんか。
(こちらから何度も相手を見ていれば、目を合わせることだって多くなる。しかし人間はそう信じたいのだ。そこを狙え)
相手は今は恋愛をする時期ではないと考えているようです。
(本当は好きなのだが、今は事情によりそれができないで彼も苦しんでいる。実際はそんなことがなくてもそう言ってやれば、それを信じるのだ。そこを狙え)
あなたは気づいていないかもしれませんが、運命の人はすぐ側にいます。
(直ぐ側という主観的な言葉のトリックを使う。どこからどこまでが側なのかは信じたいと思う度合いによって、どんどん長く伸びていくものだ。そこを狙え)
あなたは気づいていないかもしれませんが、心と心は通じ合っています。
(態度に出ていないので、本当に心と心が通じ合っているかどうかなど分かるわけがない。しかし、見えないという事実が逆説的に信頼度の高さを感じてしまう逆説がある。そこを狙え)
あなたは気づいていない可能性もありますが、彼はあなたを知らず知らずのうち に好きになっていきますよ
(まず、あなたが気づいていないということで、自分にポジティブな疑いの目を向けさせろ。そうすれば、本当は彼はあなたを好きでしょうがないという言葉は、乾いた砂が水を吸うように嘘でもいいから信じたいという心に忍び込むものだ。そこを狙え)
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初日はノートの本の最初の数ページ分しか試さなかったが、それでも五〇人ほどの行列ができ、結局店を閉めたのは午前三時だった。
二年経った今でも、多いときは同じぐらい、少ない時でも三〇人ほどの客入りがある。今晩はどうだろうか……このあとの「用事」のために、もっと稼いでおきたいところだが。
ノートのテクニックを振り返っていると、顔なじみになった、新宿二丁目警察署の警官がパトロールで通り過ぎていくのが見えた。目が合った気がしたので、軽く会釈をする。
確か、占いの初日に、歌舞伎町でケンカをやらかしたヤクザを連行していた時に、「見ない顔だね、あんた。届出制だから、明日やったら他の課の人間が取り締まるよ」と苦笑いしていた年配の警邏だ。チンピラヤクザが、明日俺も占ってくれよ! と酒くさい息で大笑いしていたのを思い出した。
新宿警察署の四課に目をつけられ、ヤクザにしゃべりかけられる。この街が気に入ったキッカケがあいつらだった。
あの夜、いきなり80万ほどものキャッシュを手に入れた。それを鞄に入れて、俺は自然と溢れてしまう勝利者の笑いを押し殺しながら、二丁目方面に歩いていった。
その日課は、今も変わらない。
今日も俺は、稼いだ大金を手に……「あの女」に会いに行く。
to be continued...