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【長編小説】真夏の死角64 暗愚な当主の賭博癖
田久保の頭の中で神奈川県警警部としての部分が徐々に覚醒した。田久保秀明が己自身の警察人生を抹殺されること必至の秘密を警察上層部に握られ、任務に成功した暁にはそれをうまく処理することを餌にされた仙台グローバル国際大学事件。
事件調書にはこんな曰く有りげな人物がズラッと並んでいた。
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失踪した事務局長のおそらくその失踪の秘密を知る妻の澤田景子。そして特別顧問のアビクドール・アイデルバーグが眼の前で、自分のことをまるで同志でも見るような目で柔和に見つめていた。こんな目は、いつバレるかわからない秘密を抱えてきた田久保の警察人生には一切無縁のものだった。
田久保は一瞬、自分が警察組織よりも、この得体のしれない組織の一員であったら……とそんな人生を想起した。
「東北帝国についてはもちろんご存知ですね」
「もちろん」
アイデルバーグの声で我に返った田久保は、自分の妄想を打ち消すように即答した。
「景子さんのご主人である事務局長澤田哲生氏、そして、アイデルバーグさん。あなたは、特別顧問という肩書が付いている」
「その通りです。なにか聞きたいことはありますか」
アイデルバーグは相変わらず田久保をまるで仲間を見るかのような視線で見ていた。そして、聞きたいことはあるか、というその口調もまたこれから仲間になる田久保に対する礼儀であるような丁寧なものだった。
「聞きたいことは山ほどあるが……」
田久保はあえて、その誘惑にも似た視線を無視してまるで、容疑者をより調べるかのような口調を作った。
「小谷一郎。これは代議士の小谷三郎の長兄、つまり東北帝国の当主ということになるな」
「その通りですよ」
アイデルバーグはよくぞ聞いてくれたとばかりに相好を崩した。
「どのような人物なのか教えてほしい。この人物については仙台グローバル国際大学事件のキーマン中のキーマンであるにもかかわらず。警察の調書にまったく記載されていない」
「なるほど」アイデルバーグは軽くうなずいた。
「gambling junkie」アイデルバーグは一言言った。
「ギャンブリングジャンキー……。重度のギャンブル依存症か」
「ああそうだ」
「カジノか……」
田久保は、数年前事件となった大王製紙グループ元会長が100億を超える掛け金をカジノで溶かして会社の金を不正流用して起訴された事件を思い出した。その趣味が高じてこうして、私設ギャンブル場を運営する……有り得そうな話だった。
「いや、彼はカジノには興味がない」
アイデルバーグはにべもなくそう言った。
「……」
田久保は埋まりかけたジグソーパズルのピースが埋まらず、沈黙した。
「彼が狂っているのはカジノではない。もっともカジノで100億、1000億の金を溶かす人間と同じくらいの金をつぎ込んでいる」
そんな金を注ぎ込めるような賭博があるのだろうか……。田久保は過去のギャンブル関連の犯罪歴などを頭の中で思い起こしてみた。カジノでないとすると、暴力団の私設の賭場が考えられる。巨大暴力団の総長就任や会長就任などの大イベントの時には一晩で100億単位の金が闇で動くことはある。
「いったいそんな巨額な金でどんなギャンブルに狂っていたんだ」
田久保はアイデルバーグに尋ねた。
「野球賭博だよ。それも彼はプロ野球ではやらない。マニアが全財産をつぎ込んでもいいと思っているほどの魔力があるのはプロ野球賭博ではない。プロ野球賭博は1年間というシーズンがある。これは刹那に人生を賭けようとするギャンブラーにとっては長すぎるんだ」
アイデルバーグはまたしても、謎掛けのようなことを言いながら田久保を見た。
「1年では長すぎる……」
田久保はアイデルバーグの言葉を反芻して口にした。
「そう。ギャンブリングジャンキーは麻薬中毒と同じだ。刹那に見を溶かすほどの興奮が得られるものを常に追い求めていく」
「……」
「日本という国では夏の間、若き日の人生の頂点を掛けて壮大なドラマが炎天下の中で行われる」
アイデルバーグの青い瞳孔がすうっと深く沈み、田久保はそこに大きな闇が浮かんだような気がした。
「高校野球……」
「そう。小谷一郎は高校野球賭博のギャンブリングジャンキーだ」
「高校野球……」
それまで黙って成り行きを見ていた美姫がその言葉に反応して呟いた。
「澤田……」
槇村慶次がその場の全員の脳裏に浮かんだ言葉を代弁するように呟いた。