私と俳句と川柳と和歌
純白の雲より出づる木漏れ日に射抜かれて照る土間の残り香
鶴亀杯一首のみ応募させていただきました。
この度は、ありがとうございます。
短歌は続けようと思い、本日より歌人を名乗ります(爆)。
#鶴亀短歌
受賞記念エッセイ
私と俳句と川柳と短歌
猫の子のちょいと押さえる木の葉かな~小林一茶
頭で考えるとだめだな……。
つくずく、自分が嫌になるときがある。
昔はそんなんじゃなかった。
もっと自由に、私の口から出る言葉はこの世界となんの隔たりもなく、声は小さかったけど、その声は確実にまるで郵便配達人が郵便を届けるように誰かの心に届いていたと思う。
最初は遅配だったような気がする。
あれ、何だか伝わっていないかも。
でもそれは錯覚で、私の言葉は遅れていたけど、大切な人、必要な人に届いていた。
いつからか、そこに誤配が交じるようになった。
届かなくて行方不明になった投函した手紙もあれば、宛先人不在で戻ってきた手紙もある。
宛先人不在で戻ってきた手紙というのは、まるでこの世界の闇の根源からの私への否だった。心を込めて封をした手紙が、開封もされずにそのまま戻ってくる。中身は知っているので開ける必要もない。それは封印された私の心だった。そんな未開封の自分で出した手紙が増えていった頃、私は「自分」というものをぼんやりと考え始めたのだった。
猫の子の ちょいと押さえる 木の葉かな
いわゆる言葉というものを自覚的に眺めたのは、俳句が最初だった。通っていたバイオリン教室では、日本中の同門の三歳児が小林一茶の俳句を毎週詠んでいた。
もちろん俳句的価値なんて分からない。猫は分かるし、とてつもなくかわいい仕草なのは分かる。先生が最初の五を読んで、生徒が宿題で覚えてきた五七五を全部たどたどしく声にする。自信満々の子もいればさぼっちゃった子は、ええとええと、ともじもじしながら先生に助けてもらいながら最後まで言う。
私の先生は毎回三句を「次はこの三つ覚えてらっしゃいね」と言って、バイオリンのレッスンのときは怖かったのに、満面の笑みで私の目を見て暗記している一茶の句を口にした。先生もまた三歳の頃課題になっていた小林一茶の百句を口にしていたからだ。
宿題のバイオリンができていないときは、先生はちょっと不機嫌だったけど、なぜだか俳句がうまく出てこないときには、伴奏用のグランドピアノの椅子から立ち上がって私のところに来た。
膝を折り、もうそのころ70歳に手が届きそうなお歳だったと思うが、かわいらしくご自分の両の膝を体育座りをする幼稚園児のように両腕で交差して抱え、私に微笑んでもう一度一茶の最初の五、猫の子の をゆっくりと唱えるのだった。
優しい先生の口が上五に合わせて動く時、その形の良い上品な唇に吸い込まれるように、私は忘れていた中七、下五 ちょいと押さえる 木の葉かな が忘却の底から魔法のように喉元から出てくるのを、まるで催眠術にかかったように声にしていた。
この頃私は、手紙の届け方を完全に知っていた。
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