【長編小説】真夏の死角 45隠された戦争末期の東北大震災
何度やってみても、僕は悠理と交わることはできなかった。君は驚いたかい。母親は違っているとはいえ僕らば父親が同じ兄と妹だった。それでも、それをしようとしたのかと、君はもしかすると僕に嫌悪感をいだいたかもしれない。それは当然だろう。ただ、これだけは僕の愛した君には伝えておきたかったんだ。僕は、そして悠理は何も快楽など求めていなかったんだ。僕は、自分が不能であり悠理と交わることができないことを宿命として感じながらも、その宿命に抗うように、何度も悠理の上に覆いかぶさり、何度も悠理の下半身を開き、そこに自分のものを入れようとした。
そして、悠理も何度もそれを手を使って優しく誘導した。
しかし、僕が結局それができないということは、とりもなおさず僕たちが決定的な世界の破壊を自分たちで選ばなかったことであり、そしてそれは必然的に僕が世界から決定的に拒まれていることを認めることに他ならなかった。
その、あらかじめ予定調和的に道徳的一線が保たれることを予期しながら、その予期の観念そのものが僕を不能にした。観念の呪縛は肉体の核心を不能にし、その不能こそが悠理への誠意の証であり、そしてまたそれが、悠理を決定的に傷つけ、世界から拒まれた僕が僕一人であるそのもう一つの世界、薄皮一枚この現実世界と隔てられた世界へと悠理を引きずり込むことにほかならなかった。
自分でしたのは一度だけで、その後は何度も求めるたびに自分の不能が明らかになり、そのたびごとに悠理は自分の優しい華奢な手で、あるいは自分の整った唇を使って僕を射精に導いた。
僕も悠理の中に何度も自分の手を伸ばしたけど、そのたびに悠理は首を静かに微笑みながら振った。拒んでいるのではなかった。
「お兄ちゃんがいった時私もいってるから」
女の体のことは知らなかったが、そういうものだそうだ。全員がそうなわけじゃないらしいが、悠理は自分への性的な接触がなくても精神的な高まりにおいて、あるいはその優しい手から、あるいはその半開きになっては道徳的にすっと閉じられるその唇から、性的な快感を得ているということだった。
数限りない敗北と、数限りない悦楽の果に、僕と悠理はベッドの中でシーツを被って話を始めた。
「俺の父親のこと、いや、悠理の父親のことでもあるか。いったいどこまで知っているんだ」
ああ、この手紙を書いていて思い出した。僕は君に対しては僕と言っていたが、悠理に対しては俺、と言っていたんだったな。多分それは兄としての、年長者としての何かを悠理に示したかったのかもしれない。うまくいえないけど、多分それは、軟体動物の胃袋の中のようなこの世界の中で、初めて僕が味わった秩序だったもののように思われたからだった。
「どうして、私たちの父親が戦後政治家の中で化け物と呼ばれるようになったか、その理由は知ってるよ」
悠理は自分の父親のことを平気で化け物呼ばわりしたが、特に違和感はなかった。
「東北一帯のあの権力基盤はおじいさんから継承されたものだって、ちらっと筆頭秘書から聞いたことがるけど」
「うん。そのおじいちゃんが作った東北帝国の後継者が小谷三郎、私たちの父親ね」
「東北帝国……、そう言われていたのか。まるで独立国家みたいだな」
「まあ、そんなもんだよ」
「まさか。戦前とはいえ、明治国家の中にもうひとつ国家があるわけない」
「やっぱりお兄ちゃんはほとんど知らないんだね。もっとも、秘書さんたちは逆に知っていて秘書同士で箝口令を敷いているのかも」
悠理はそう言って上半身を捻って上半身をシーツから出して、ベッドの木製の背もたれに大きなダブルベッド用の枕を背もたれに挟んで起き上がった。
僕も身体を捩って同じ枕に頭を載せ、僕の肩に顔を載せた悠理を肩越しに抱き寄せた。
「私たちのおじいちゃん、小谷威一郎が東北帝国を作ったのは、東北大震災の時……」
東北大震災というのは、あの東日本大震災のことではないよ。1944年に関東大震災を上回る規模の自信が岩手県を中心に起こったその地震のことだ。
君はもちろん初めて聞くことだろう。
もちろん、日本史の教科書にも関東大震災は載っているが、東北大震災のことは載っていない。それどころか、岩手県の郷土史にも載っていないし、死者12万の記録も警察、消防にも一切記録されていない。関東大震災の死者が10.5万人だから、実は日本史上最大の震災は東北大震災だったんだが、その記録はこの日本から一切消えている。
しかし、これは僕も後に政界に本格的に関わるようになって知ったことだが、ごく限られた政治家や右翼の大物はこのことを知っている。
それは、小谷三郎の父、小谷威一郎帝国の誕生のきっかけとなった、戦前の日本国家の中の独立国家の誕生だったからだ。
そして、今、僕がこの手紙を書いているその理由。
澤田明宏が引き起こしたとされる、離島殺人事件の発端は、この1944年の東北大震災にもともとのきっかけがあったんだよ。
僕が妹の悠理から聞いた、その幻の東北大震災とその顛末、および東北の小谷帝国誕生とその後について、その一切を、これから君に伝えたい。
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