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THE NEW COOL NOTER 賞~10/29講評分(みくりや佐代子さん)
THE NEW COOL NOTER 賞へ参加いただいたみくりや佐代子さんへ、下読み担当から、講評をさせていただきます。
ヒロさん講評分
普通 という言葉のトリセツのよう受け取りました。
親子といういろんな形、その中の 或る一つの形。
"「褒めること」じゃ少し物足りないよう感じるのだ。"
"「親に褒められている姿」を、見せたかったのかもしれない"
"気づけばいつの間にか「お母さん」側になっていた。"
印象的なワードが散りばめられる。
今 と記憶が互い違いに しかし一つのレールの上を進む不思議な描写。
多くの人へ 或る恥ずかしい愛のかたち が届きます。
一奥講評分
「大好き」という言葉が守り言葉となる。
自分を大切に思う人が、この世にいると確信できること。
それは生きていく上での、なによりの薬でありお守りであると気づきます。
「いいね」ではなく「スキ」。
noteという場所において、様々な縁やめぐり合わせが結び合わされるのもまた同じことかもしれません。
スキをつけることは、相手に守りを与えること。
スキをもらうことは、守られているということ。
そんな当たり前で、でもとても大切な、生きていく上で一番根本のことを、友達のお母さんの振る舞いの中から熏習されたものと気づきます。
その意味においては、褒めることと叱ることはまた等価なのでしょう。
大切なのは、相手に、そして第三者達に、心から大切に思い守っていることを態度で示すことなのでしょう。
それがあれば、生きていける。
守られているという実感があればこそ、そこを足がかりにのびのびと天に手を伸ばし、駆け抜けていくことができる。
悪意や、時には他ならぬ自分自身の心の内より湧きいでてくる弱気にさえも、耐え、打ち勝ち、己を作り上げていく源泉となる。
「好き」という言葉の本質的で、最も大切な部分がが伝わってくる。
そんな記事であると感じられました。
みこちゃん講評分
わざと言葉の間を華麗に飛ばしている。
行と行の間を読者に読んでもらうことで、そこを埋めさせるような躍動感があって驚きました。
未婚のみこちゃんでありますが、母であることは存在感であって、なにをするか、どう思われるかとは究極的には関係ないのかなと、そんな気になりました。
母親らしいとはなんなのだろう…。
そう、思いました。
「褒める時は、第三者に向けて、娘の前で。」
それを見たお嬢様は、「母」を知るのかなと思いました。
何があってもこの娘はいい子だ。
でも、本人には言わない。
親ってそういうものなのでしょうね。
このコンテストは、委員長、審査員一同に何度も
「親ばかにになってください」
と伝えています。
優れたところではなく、好きなところで選んで欲しい。
もちろん優れたところを褒めることもとても大事。
でも、究極的には人との関係は、好きだから…。
ということなのかなと思うのです。
親ばかにだれも文句はいえない。
「そういう恥ずかしい人に私はなりたいのです。」
節度をきちんと持った親ばか。
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ(宮沢賢治 「雨ニモマケズ」)
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