もう持ってる、という感覚
自分にとって、結構印象的で不思議な感覚になった出来事があるので、書き記そうと思う。
日記を読み返してみた
全然振り返っていなかった過去の日記をふと読み返してみた。
すっかり忘れてたような出来事も、日記内のワードで「あ〜確かにこんなことあった!」と記憶が引き出されるのが楽しかった。
そこに、職場で褒められた話が書いてあった。
「◯◯さんなら安心して任せられるよ」って言ってもらえた!
「もしかして2人います?なんて冗談言われて、嬉しかった」
あ〜、確かにそんなこと言われたなあ。
と、そのままスルーした。
でもその時、自分はいつもこういう褒め言葉をスルーしてるってことに気づいた。
あー、はいはい、もう調子いいんだから!
って感じで。
思ってないでしょ〜?褒めても何にも出ないよ〜?
って感じで。
あれ、いつからそうなったんだろう。と思った。
それに、改めてこの言葉を見ると
私、すごい嬉しい言葉かけられてない?
って再確認した。
スルーしてるというか、ぜんぜん重く受け止めてなかった。
褒められても「いやいやそんなことないです〜」って謙遜するのがフツー。みたいな流れの時期があって、
その癖がきっとまだ残ってるのかな。
思い返すと大事な言葉がある
これは妄想だし自画自賛っぽくて恥ずかしいんですけど、私に褒め言葉をかけてくれた人はもしかすると「すごい、自分にはできないことを◯◯さんはこなしてる。さすがだなあ。」なんて思ってくれたのかもしれない。
そして、その思いを伝えよう!と、わざわざ言葉に出して褒めてくれたのかもしれない。
それを私が「はいはい〜」って軽く受け止めてたとしたら、結構失礼なことなのかも。
ここで思ったのは、自分のことを過小評価しすぎて「受け取れてない言葉」がたくさんあるんじゃないか?ということ。
今回は日記に書いてあったから、もう一度拾うことができた。
だけど、日記に書いてない、普段の会話での何気ない一言を、私はちゃんと受け取っているだろうか?
そして「言葉」だけじゃなく、他にもあらゆるモノに対して、実はちゃんと「わかっていない」のかも知れないと思った。
気づいたらすごい持ってるじゃん
日記を読み返して、言葉を受け取ってないと気づいた体験をきっかけに、身の回りのことを1つずつ、丁寧に思い返してみた。
家がある。仕事がある。お給料が毎月振り込まれる。
両親、家族がいる。離れているけど元気に暮らしている。
私は29歳まで健康に育てられ、今も生きている。
冷蔵庫には食べ物と飲み物がある。
スーパーでは贅沢は出来ないけど、食べたいと思ったものが買える。
パートナーがいる。一緒に暮らしている。
自分の理解者であり、彼のおかげで平和な生活ができている。
洗面所には大好きなコスメがある。スキンケア、シャンプーもある。自分で買ったモノ。
今座っているソファがある。これはイケアで安くなってて、2人でラッキーだね!と言って買ったもの。届いた時の大きさ(部屋が狭いから)にびっくりした思い出がある。
あれ、私いろんなものもう持ってるじゃん。
もっとこうなりたい、あのひとに比べて自分は、なんて落ち込んだり焦る日もあったけど、よく考えたらすごく大事なものをもう持っていた。
さっきの言葉の話にも通じるんだけど、「当たり前」だと思っていることの中に実は宝物があるんだと思う。
自分にはなんの才能もない…と思ってしまうのは、自分がすんなり出来ること=普通、当たり前だと思ってるから。
そうじゃない。
自分は何にも考えずにできるのに、なぜか人から褒められること。(だからすごいと思えず褒め言葉を受け取れてない)
は、ないだろうか。
そこに、自分のすごいところがあるのかもしれない。
なぜか大したことじゃないのに褒められるな〜ってこと、頑張って思い出してみよう。
自分では大したことないって思ってるから、すごく見つけにくい。
そしてこれを見つけるのに、日記が大活躍する。
日記を続けて、得られたことのひとつ
最初の方は気づかなかった、日記を続けることの利点。自分が普段どんどん忘れていってしまう大切なことを、確実に残しておけること。
そしてそれを後から拾えること。
必ずあとから「読み返す」ことで、取りこぼしていた大事なワードと出会える。
それは自分の才能に気づくものであったり、自分が持っているもの、恵まれていることに気づくものであったりする。
「夢が既に叶った状態」
「既にそれを持っているという感覚」
で、いることが夢の実現には大事だとよく聞く。
あれが欲しい、あれがないと…という気持ちでいると、そういう気持ちになるようなことが実現すると。
この、「既に持っている感覚」ってどういうことかよくわかっていなかったけど、今回の経験でやっとわかった。
今までは自己暗示をかけるように「私は幸せです〜ありがとうございます〜」って考えることで「すでに持ってる」を体感しようとしてた気がするけど、これはなんか違ったんだな。
誰でも「もう持ってる」ってことだ。
景色を見る目がある。音を聞く耳がある。触れ合いを感じられる触覚がある。味を楽しむ味覚がある。香りを感じられる嗅覚がある。
言葉で会話ができるという能力がある。
移動できる足がある。握手できる手がある。
いやいやそんなの「当たり前」だよ。って思うかもしれないけど、全然当たり前じゃないんだよね〜
明日、突然どれかを失う可能性は誰にでもある。失ってしまった人もいる。
失ったからと言って不幸なわけではないけど、悲しみや苦労はあるかもしれない。
よく「失ってから気づく」って言うじゃないですが。だから失う前に、一回それがあることのありがたさを考えてみたいと思う。
話があちこち飛んでしまったけど、最近の結構大事だと思われる気づきの話でした。
今は私、幸せじゃ〜ん!!って気持ちです。笑
読んでくださってありがとうございました。
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