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Hiatus Kaiyote に会って思った“着飾る哲学”。

10月30日、ハロウィーンで世界が浮かれる前日に、私がオーストラリア在住時に現地の友人から教えてもらって以来大好きなメルボルン出身“ネオ-ソウル”バンド
Hiatus Kaiyote が、東京 豊洲ピットにやってきた。

Vo/Gu にネイ・パームという強烈な存在感と破壊的な歌唱力を持った最強女子を携えたバンド4名全員敏腕ミュージシャンというすっごい集団なんですが。

そのライブの数日後にあった、彼女らのツアーグッズや作品群をポップアップショップ形式で買えて、更には上手いことタイミング合わせて行ったらバンドのサイン会にも参加できちゃうという、東京ってやっぱすげーとこだなと思わせるイベントが11月2日にあったんです。

ポップアップショップ店内の様子

私は、ライブもポップアップもタイミング合わせて行けて、更には幸運なことにサイン会にもちゃっかり参加できたので、その時に強烈な個性を放つネイ・パームを目の前にした時に感じた

“着飾る哲学”について書いてみようと思います。

この個性を目の当たりにした時、あなたならどう感じるだろうか


あまり能弁を垂れるつもりはないので簡潔に書きますが、私は彼女を実際に目の当たりにした時に、勝手に、彼女の外見の派手さに『納得』したんです。


街を歩いている時、たまにどうしてその見た目にすると決めたのか疑問に思える様相の人って、失礼なことを言うようですが居るかと思います🤔
そこに対する疑問が晴れる時こそ、その人の生まれ持ったものや内面を知った時なんじゃないかしら?と考えるのが“着飾る哲学”。


更に詰まるところを言うと、『納得』がいく着飾りと、『納得』がいかない着飾りが存在する、と言っちゃっても過言ではないはず!


才能のある人だけが着飾ってよくてそうじゃない人はダメなのか、という乱暴さには気をつけたいですが、ここで私が言いたいことは、人って自然と、自分の内面を現す見た目を選んでしているのではないか?ってことです。

時には黒っぽい服しか着たくない日や、無性に派手目な色や柄を身に付けたくなる日があるように、「私はこういう見た目で生きたい!」という選択を、私たちは常日頃してるとおもいます。

だから、例えばネイ・パームがスッピン黒髪ストレートの全身ユニクロであの中身ってのはこの世界線ではあり得ないことで私はきっと「納得」出来ていないでしょう。笑

別に、私が納得するか否かで彼女の魅力が左右することはないし、完全に個人の勝手な解釈なんですが


やはり、内面から滲み出るかっこよさ、才能、センス、性質ってのは、その人の身につけるもの也、タトゥーも着飾りの一つですね。そこに最終的には見えてくるものなんだと。


過去には若かりし時の私も、私を目にした人は網膜が火傷してたんじゃないかと思うほどネオン色ややたら派手な色・柄物を酷使しては自らの異端さをアピールしていましたが、そんな若気の至りも30歳を目の前に通り越し、日々自然に溶け込むアースカラーで落ち着いた見た目をするようになった自分に感慨深さを覚えさせられた作文時間になりました。

この記事に納得する方もしない方も、自己流の着飾りを楽しみましょうね💫

と丸く収めたところでまた今度👋

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