自分を傷つけていた頃の話
私はネガティブ人間だったと書いたことがありますが、もっと掘り下げた記事を書きたいと思いました。
ですが…
闇が深い…
出来れば思い出したくないような、記憶を消したくなるような話だし、色んな痛々しいことも書くので、苦手な方はここで引き返すことをおすすめします。
では、いきますよ(*´艸`)
私は中学生から23歳位までリストカットをしていました。
この前は書けませんでしたが、マイナス思考だった頃の口癖に「死にたい」がありました。
死んでやる!と手首を深く切ろうとするたびに、本当にこのまま死んでもいいの?と、もう1人の自分が出てきてしまい、毎回思いとどまるという、生きることも死ぬことも出来ないような、中途半端な時期がありました。
リストカットをしているのを職場の人にバレてからは、ピアス開け癖になりました。
嫌なことがあるとピアッサーで耳に穴を開けて、8個位ジャラジャラとピアスをつけていたことがあります。
飛び降りたい願望もあり、部屋にいる時に咄嗟に飛び降りようとしては、ここ2階だから死ねないと我に返ることの繰り返し。
本当に死ぬことしか考えられない時は、楽に死ねる方法を調べたり、首を自分で締めてみたり、お風呂での溺死を狙ってみたりと、今となっては笑ってしまうような自殺未遂をしていました。
でも死ねなかった…
死ぬ勇気がなかったんです。
そんな自殺願望も、色々試したけどいつも思いとどまってしまうので、何だか無意味なことだと思い、いつの間にかリストカットもピアス開けも、自殺未遂も辞めるようになりました。
その原因の発端は家庭環境ですが、私の家庭はかなり特殊で、幽霊も一緒に住んでいました。
1番まとわりつかれたのは母親です。
その影響で、私が小さい頃から濡れ衣を着せられるはめになり、暴言暴力の的にされていました。
もし母親が霊に好かれる体質でなかったら、虐待問題は発生しなかったのかな?と思います。
簡単に家族の紹介をすると、
母親はヒステリックで恩着せがましい人
父親はあっけらかんとしていて、家族を守る気なし。
パチンコでかなりの借金をしたこともあり、母親同様同居していた時は、私の収入があるからと仕事を辞める人
姉はとにかく優秀で何でも出来る人だけど、両親と妹の出来が悪いからか、出来ないことが分からないと思うような人で、心を失くした冷たい人になったなと思うようになりました。
ちなみに両親は1度離婚しましたが、数年後には同じ相手と再婚し、そのせいで年金が少ないと文句を言っていました…自業自得(笑)
こんな感じで色々とある家庭で育ち、親戚もがめつい人が多かったので、周りの大人のほとんどが反面教師でした。
今あの頃を振り返って見ると、あんな家庭環境でよく生きて来られたなと奇跡とさえ感じます。
中学生の頃は非行に走ったこともありますが、レディース(女性版暴走族)に誘われても入らず、なるべくまともでいようとしていた自分は偉いと思います(笑)
話は戻りまして、10年位リストカットをやっていたので、うっすらと痕が残ってしまいました。
当時はリストバンドで隠していましたが、今は何もしていないので、袖無しの服を着ている時は、バレるかもしれないと少しヒヤヒヤしています(^^;
今は明るく癒し系というイメージが多いらしいので(自分で言うのが恥ずかしい(笑))、まさかリストカットしていたと想像しないとは思いますが、十数年経った今でも残ってしまったので、自然に消えることはないと思います。
なぜこんな暗い話を書きたくなったのか疑問ですが、おそらく自分と向き合うためと、幸せそうに見える人にも色々あるんだと、妬んだりしなくてもいいことを伝えたくなったんだと思います。
自殺願望や痛い話、暗い話で気分が滅入った方がいたら申し訳ないです(ノ_<。)
このような記事を最後まで読んで頂きありがとうございましたm(_ _)m
毒親育ちの天涯孤独でハードモードの人生だけど、今までの経験したことを書くことで、読んでくれた方が少しでも生きやすくなれたらいいなと思いながら投稿しています( *・ω・) 私の考え方などに共感、記事内容がためになったと思って頂けたら嬉しいです(´ω`*)