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マイ・セカンドライフ 23
「教養考」3 「英学」の始まりと教養
「教養考」3 「英学」の始まりと教養
日本は幕末・明治維新で一気に欧化の波に洗われ、情報収集の重要な手段である言語の習熟が必然的に求められ、外国語修養(教育)に関して幕府や各地の藩の政策により蘭学はじめ英・仏・露の言語が学ばれていました。
英学に関し、1808年(文化5)のフェートン号事件を契機に幕府の指示で長崎のオランダ通詞たちが英語を学習し始め、英学の夜明けと言われています。以後明治維新まで約半世紀強の間、蘭学から英学へ修養熱は高まり、明治に英語名人たちが誕生しました。教育家福沢(ふくざわ)諭吉(ゆきち)(1835~1901)、修養の語を用いた新渡戸(にとべ)稲造(いなぞう)(1862~1939)、珠玉の英語辞書や文法書を残した斎藤秀三郎(ひでさぶろう)(1866~1929)、文豪夏目漱石 (1867~1916)らが特筆すべき英語名人の代表格です。福沢諭吉は「世の中で一番みじめなことは、教養のないことである」と述べました。明治の教養人である漱石の作品には社会と人の関係、人間の成熟とはどういうことなのかが詰まっています。 (つづく)