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人生最期のハードル

木下斉さんのvoicyを聴いていたら、「日本人は平均が好き」という話が出てきていました。
「平均」という言葉から思い出したことがあったので、そのことから看取り介護について書いてみました。。


特養ホームで働いていたとき、年に何人かの看取り介護をしていました。
特養には、要介護4〜5の自力で体を動かしたり食事を食べることが難しい方が暮らしていらっしゃいます。


多くの方がすでに自力では歩けずに車椅子が必要な状態で入居して来られます。
その後、心身の低下と共に食事に介助が必要となり、全身の筋力低下で嚥下状態が低下していくと共に、食事量が確保できなくなっていきます。
栄養状態が低下してくると、看取り介護についての面談を行なっていました。


看取り介護では、食べられなくなっても医療的な栄養補給は行わず、自然に生を全うするのを見守るようになります。
それを希望するか、(延命)治療を希望するかの確認をするのですが、なかなか決められないご家族もいました。
医師やスタッフが選択肢と予後についての説明をする中で、徐々に自然な死を受け入れられる方がほとんどでした。


その中で、お母さんの方針を決められない息子さんがいました。
嚥下状態が悪化して誤嚥のリスクが高い状態の中で、看取り介護を決めるか、胃瘻を選ぶか。
長い時間迷われて、看取り介護を選んだときに言った言葉が「平均寿命以上まで生きられたから、看取り介護を選んでもいいよね」だったのが印象的でした。


死を判断するような決断、なかなかできない人が多いのは当然だと思います。
延命治療と言われることについても、捉え方がさまざまあり、それを受けない判断には大きな勇気が伴うでしょう。
何がいいのか、誰にも正解はないし、その後の経過の予測はできるでしょうが、それを見守るのも苦痛が伴うかもしれません。


彼は平均寿命を超えている、ということを支えに、大きな決断ができました。
でも、そのような指標を持てなかったら、延命医療を選んでいたかもしれません。


施設に胃瘻の状態で入居された方がいました。
ご家族に聞いた話です。

”元気で活動的に過ごしていたのにある日急に倒れて、入院先で胃瘻にしないと生きられないと言われて、胃瘻を選択した。
元気になれるかと思っていたのに、胃瘻にして栄養状態は安定したが、意思疎通はできるようにならず、寝たきりになってしまった”

多分このご家族には、胃瘻にするしか選択肢はなかったと思います。


日本は多死社会と言われ、年間160万人近くが亡くなる国になっています。
終わり方をどうするか、どう見守るか、それぞれのケースの個別性が高すぎて、なかなか一律には判断できないでしょう。
少なくとも元気なうちから、自分はどうしたいかを自分で選んでおくことはもっと進めていけるといいと思います。
それでも経過によっては何回も見直すことになるでしょう。
家族については、死をタブー視しないで、話し合える環境を作る、まずはここからでしょうか。



私自身は、時間の長さだけに囚われないようにしたい、と思っています。
実の両親共に病気で亡くなりましたが、最期はとても苦しそうな時期がありました。
人生を全うする、その最期のハードルを越えることは大変なことなのだ、と教えてもらえた気がします。














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