
タイムマシンに乗ってきたおばさん⑪
予約した総合内科は小児科だった。
朝は起きられないので予約はいちばん遅い時間にしてもらった。
思春期外来もある大病院で、検査をしてからそちらに回されるのだろうと考えていた。
しかし、何度予約してもなかなか思春期外来には案内されなかった。
学校で起立性調節障害を疑われた旨を告げると担当医師は様々な検査をしてくれた。
毎回診察時には、専門の医師から聞いてきた、と、日常の注意点などを教えてくれるが、それはネットにも載っている情報だった。
なぜ、その専門の医師に診てもらえないのだろう?と考えた。
診断は起立性調節障害。
血圧が低いから起きられないのだろう。
昇圧剤を出すから学校に行く1時間前に飲ませるように、と言われた。
次の診察日までなんとか頑張ってはみたが、明け方にようやく眠れた子どもに朝、昇圧剤を飲ませたところで、パチっと目が覚めて
行ってきまーす!
と言うわけがない。
そもそも起きないのだから薬など飲めはしない。このことを丁寧に告げると、医師はとても立腹し、ではもう来なくていいと言い捨てられた。
はい、今日はここまで!
結局専門の先生には診てもらえなかったな、と思ったけど、子どもの症状を見ていると漢方も、血圧の薬も、教えてもらった立ち上がり方も、意味がないような気がしたし、あの医師にもう会わなくていいと思うとホッとしたんだ。
子どもに聞いてみると何にも記憶がないって。
ほんとに辛くてやっと病院に行ってたんだよね。
その頃は20才には治ってると思ってたから、治療なんかいいやと考えた。
不登校の理由が見つかって、私の気持ちは少し落ち着いた。
でも中学に行かず勉強もしないで寝てばかり。
将来がまるで見えなくて、私は他の子と比べてばかり。
ほんとに子どもには申し訳なかったと思う。
通院も断られ、塾も行かないし、3年生になると部活もなくなってみんなは受験体制にはいる。
行くところのなくなった子どもはパソコンのお笑いとゲームはかろうじて続けていた。
わたしは不登校関連と起立性調節障害関連の本を貪り読む。
当時はまだ登校拒否って言ってた。
10年前よ。
学校に行かないことは今よりずっと悪いことだった。
行かなくてもいいなんて考える大人はほとんどいなかった。
でも、時々ランチをしていた私の姉と兄に相談すると、2人とも、いいんだよ、中学なんて行かなくたって。
どうしても行かなきゃいけないとこなんてないんだよ。
と言ってくれて、本当に本当に救われた。
私を追いつめていたのは私だけだった。
今ならそうわかるけど、全くそんなふうに思えなかった。
苦しいね。
あともう少し。
必ずトンネルは抜けるからね。
私にはわかる。
未来から来てるからよ。
タイムマシンに乗ってきて、
いろいろ言うおばさん。
53歳のわたしから、43歳のわたしへ。