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【愛と許し】 変わっていくものを変わっていくままにする
歩いて2分ほどの場所に畑がある我が家。春の畑は、とってもにぎやか。
人間の腰あたりの高さでは、菜の花やハマダイコンの花が咲き、モンシロチョウたちが飛び回って
足元では、キラキラ光る朝露をのせたスギナやヨモギ、カラスノエンドウなどの野草が、元気いっぱいに伸びています。
※この記事内の写真はすべて、うちの畑の写真です♪
晴れた日の朝なんて、まるで天国にいるような気持ち。
気持ちもゆるんで、自然と呼吸が深くなる。
そして、そんな景色を見ながら思うんです。
「立ち止まったときにこそ、すべて変わっていってるって気づくんだ」って。
4月は春の嵐がやってきますよ、っていう記事を前回書きました。
どんな形の嵐なのか、それは人それぞれだと思います。
でもきっと共通して言えることは、去年の12月あたりから潜在意識下で始まっていた変化が、顕在意識でも感じ取れるようになる、ということです。
【9】のエネルギーを持つ今月。
羽化した後に殻が残るように、煮物で不要なアクが出てくるように
これまで死角に隠れて気づきもしなかった無意識の思い込みや、心の屋根裏部屋の隅っこに溜まっていた感情たちが、自然と表面に浮かび上がってくるかもしれません。
いつか、うまく対応できなかった感情。
いつか、絶対のルールとして設定した「ねばべき」。
いつか、決めつけた「私は◯◯な人間」というセルフイメージ。
どれも不完全で、未消化で、今の自分には「時代遅れ」の古くなった過去たち。誰もがそれぞれに持っています。
でも今月は、それらを解決すべき「問題」としても、変化させるべき「変化の対象」としても、とらえないでいてほしくて。
そもそもの話になりますが、潜在意識というのは顕在意識で(つまり頭で)コントロールできるものでも、変化させられるものでもありません。
現代の意識状態で生活していると、この事実は理解しづらいものなのだけど、今の自分に必要なものは、潜在意識が引き寄せ、潜在意識がキャッチし、潜在意識が消化していく。
そして結果的に、引き寄せる現実が変わっていく。
事件が起こってるのは現場(潜在意識)であって、会議室(顕在意識)ではない、みたいなイメージ。
会議室でいくら状況整理して、議論して、作戦を練っても、会議室からは現場の状況も分からなければ、現場の人に連絡する手段もなくて。
でも、現場ではちゃんと誰かが証拠を探して、犯人を追って、ってやってくれてる(青島くんと室井さんがまったく連携してない、みたいなイメージでしょうか)笑
だからね、頭でどうこうする必要は今はなくて。
コントロールしようとすることを止めて、流れに委ねていく(【9】が持つエネルギーは、このサレンダー(降伏)の要素も入ってます)。
私たちの意識に今できることがあるとすれば、ただ潜在意識の「邪魔をしない」ことだけ。
体が自分で治癒していくことを邪魔しないように、とにかく養生するのと同じ。
潜在意識の「邪魔をしない」ということは
起こったことすべてを、そのまま引き受けて
変わっていくものを、変わっていくままにする
ということかなって思います。
「こうあらねば」「こうあるべきだ」といった決まりごとで自分を縛って、追い立てるのではなくて
意識では願っていない変化でも、自分が理想とする姿とは違っても、変わり続けるものを、変わり続けるままに、見守ってみる。
そしてそれは、「許す」ことと同意義だと私は思っています。
これもまた、【9】の月のテーマそのものです。
自分を愛する、自分を受け入れるって、言葉ではよく聞きますよね。
それは、心の声を聞くこと?
身体をいたわること?
人の言うことに振り回されないこと?
色んな答えがあると思います。きっと人の数だけ、状況の数だけ、答えはある。
私自身も、カケラを集めるように、ずっと考えています。
日々の気づきを通して、自分や他者、そして世界を信じること、許すこと、受け入れること、愛すること。
それって、なんだろうって?
そんな色んな意味の中から、今月に入ってふと気づいたこと。そして、誰か必要な人に届いたらいいなと思ったこと。
それが、「変わりゆくものを、変わりゆくままにしてあげる」ということでした。
「永遠に変わらない」という概念は、私たち人間の頭の中にしか存在しません。
あなたがどれだけ「私は◯◯な人間だ」と無意識に決めつけていても、あなたがどれだけ「みんなもっと◯◯であるべきだ」と、無意識深くに法律を作っていても。
変化し続けるあなたと他者と世界は、そんな窮屈な殻なんてものともしなくて、殻を破って、光の方向に向かってぐんぐんと伸びていっています。
この世界に生まれてきたものはすべて例外なく、毎瞬毎瞬、移り変わっていて、変化していて、成長していて、老いていて。
人間世界のスピードやルールの中にどっぷりと浸っていたら忘れてしまう、当たり前のこと。
私たちはそんな当たり前のことをコロリと忘れて、足元を見失ってしまう。
でもときどき、たとえば満開になって散っていく桜や、春のエネルギーに溢れる自然界を見て、何か大切なものを忘れていたかもって、立ち止まったりする。
自然界だけじゃなく、日々の暮らしの中でもそう。
強がりじゃなく、素直な気持ちをぽろっとこぼしたパートナーに。
つないでいた手を離して、走り出した子どもの背中に。
いつも振り回されていた感情に、少しだけとらわれなくなっている自分に。
安心して、立ち止まってください。
安心して、「前とはちょっと違うなにか」を、感じてください。
あんなに絶対だと思えたあなたの世界の中の、小さな例外やルール破り、ふとした変化。
それらを手にとって、手のひらの上にのせて、眺めてみて。
それを変える必要も、理解しようとする必要もなくて。
変わっていっていることを、そのままに見守っていてください。
許すことや愛することっていうのは、ある意味で「能動的な行為」ではないのかもしれませんね。
あぁ、変わっているのだな。変わっていくのだな。
そう言って、起こることを起こるままにして、見ている。
椅子に身をあずけて、深く息を吐いて。
それもまた、許すことであり、愛すること。
頑張って歩いてきて最後にたどり着くのは、そんな優しい椅子がある場所。
春の嵐が、春の風になって、頬を撫でていく。
本当に、お疲れさまでした。
少しの間、ゆっくりしましょ。
だってね、来月は【1】の月。
新しい次元での新生活が、始まるよ。
愛をこめて。
みっこ