デンマークの小学校で行われる超本格的な買い物ゲーム「遊ぶように学ぶ」を実現する授業設計のコツとは
授業に「遊び」を取り入れ、子どもたちが主体的に学ぶことを重視しているデンマークのビルンインターナショナルスクール。
前編ではクラス委員の仕事を行うと給料が発生したり、その給料から税金を支払ったり、クラスのなかで品物の売買が行われたり…と、遊びながらもまさに「社会」を経験できる授業の様子を紹介した。
後編では「買いたいものがあるのにお金が足りない!」「お金がなくて税金が払えない…」といった問題に対して生徒や先生が考えた面白い解決策を紹介していきたい。
買いたいものがあるのに、お金が足りない…!?
クラス内で通貨ができると、子どもたちはお金を使って遊べるように自分たちの「店」を作りだした。
自分が作ったものや家にあるいらないものなど、様々なモノをクラス内で売りはじめたのだ。
クラス内での買い物も定着してきたある日、ConnorとKendallがこんな会話をはじめた。
Connor:ねえ。もし商品を買ったり、税金を払うお金がなくなっちゃったらどうすればいいんだろう…?
Kendall:えーと。そしたら、銀行から借りるのはどうかな?
この会話を聞いたIdeh先生は、同じような状況になったとき社会ではどのように対応しているのかを子どもたちに伝えようと思いついた。そこで子どもたちに紹介したのが、クレジットカードの仕組みだ。
生徒たちは、手元に現金がなくてもクレジットカードで支払いをすることができる。
しかし、クレジットカードを使用して払ったお金は手数料をつけて支払わなくてはならない。クラス銀行ではその手数料を10%にすることにした。
つまり、10ドルをクレジットカードで支払ったら、後日11ドルを返さなくてはいけないということだ。
その日、子どもたちは宿題として、クラスクレジットカードの申込書に名前や住所などを書くことになった。
次の日。子どもたちは書類をもって、申し込みの列に並んだ。申し込みが受理されると自宅にクレジットカードが届く本格的な仕掛けで、子どもたちは期待に胸を膨らませた。
本当にクレジットカードって便利なの?
子どもたちは自分のカードを手に入れたことを喜び、当初はクレジットカードを楽しんで使っていた。しかしカードの使い道がわかってくると、子どもたちの行動に変化が見られるようになっていったという。
生徒のひとりであるChristianは「現金があるときはクレジットカードは使わないと決めた」と話した。なぜなら、カードを使うと手数料分を損してしまうことになるからだ。
一方、 Isabelは多くの現金を持っていたため「10%程度の利子は気にならないわ」と友達に話した。しかしクラスメイトはそんな Isabelにこう問いかける。「なんでそんないっぱいお金をもっているのに、わざわざクレジットカードを使うの?現金があるならカードは必要ないんじゃない?」
子どもたちはお互いの会話を通して、カードや現金の使い方を自分たちで考えるようになっていったのだ。
言い争いを教員はとめない
「遊び」のための余白があり自由度が高いからこそ、生徒同士の意見の食い違いが起こることもある。
ある日のこと。子どもたちがたくさん現金を所持しているにも関わらず、商品が少なく品薄状態になってしまった。
すると実際の社会と同様に、商品の値段が爆発的に上がったのだ。値上げの影響で、もともと1ドルにも満たなかったテディベアはまたたくまに100ドルに…
そんな「値上げ」が原因である言い争いが発生した。Samが30ドルで買ったスタッドを300ドルで友達に売ろうとしたのだ。
270ドルも損をすることに気づいたクラスメイトは「それはフェアじゃない!」と怒り始める。
どうしてもスタッドが欲しいDanielとConnor は、Samに値下げ交渉をしつつ、共同出資をして商品を買うことに。だが、Samはどうしても300ドルという価格設定を譲らない。
話し合いの結果、Samがやっと値下げを決意したときには、DanielとConnorは交渉につかれもはやスタッドが欲しいという気持ちをなくしてしまっていたのだ――
生徒たちはこうした取引の成功や失敗を通して、交渉する力や協力する力、またビジネス規範を学んでいった。
品物を買うのか買わないのか、いつ、どのように手に入れるのかは子どもたちに任されており、その意思決定にあたっての情報収集も子どもたちの責任で行われている。だからこそ、生徒たちは自然と「自分で考える」ようになっていったのだ。
実際の「社会」のような環境のなかで子どもたちは「遊び」を楽しんだ。驚いたのはこの学習ユニットが修了しても子どもたちはクラス内でのやりとりを続けようとしたことである。
このユニットは、強制された「勉強」ではなく、自分たちが楽しいから行う「遊び」になっていたのだ。
自分で意思決定ができる「余白」をつくる
ここまでビルンインターナショナルスクールでの取り組みを見てきた。
前編で紹介したように、子どもがすべてのコントロールを握る「遊び」とは違い、獲得すべきスキルが決まっている「教育」は融合することが難しく、それゆえに「遊びと学びのジレンマ」とも呼ばれてきた。
しかし、ビルンインターナショナルスクールでは「学ぶべきスキルの設定については教員がある程度責任を持つが、その学び方については子どもも責任を持つ」という方法でこのジレンマを解決しようとしていた。余白が大きいことで子どもたちが「遊ぶ」幅がしっかりと保たれているということだ。
また学ぶべきスキルの設定にしても、明確に決められたスキルだけでなく、派生した「学び」もしっかりと受け止められていることが分かる。
そのほかにも、日本の学校との違いとして感じたのは以下の点である。
(1)みんな「同じ」役割ではなく「違う」ことが当たり前
少なからず驚いたのがクラス内で設定された給料が人によって違うことだ。
そのためクラスのなかでお金をたくさん持っている子、持っていない子の差が生まれるようになっている。
これを日本の小学校でやろうと思ったら「この子だけ安いのは不平等」という意見がでてくるのではないだろうか。
もちろん税金の徴収で格差が是正されるようになっているところまでが学びの一環となっているわけだが、それぞれ違う役割を持つこと、前提ではなく結果が同じであるように調整されること、が日本との大きな違いなのではと感じた。
(2)言い争いも学びの一貫
報告書のなかには先ほどの言い争い以外にも、生徒同士の意見が食い違う様子が紹介されていた。しかしそこには教員が介入した、という話は書かれていなかった。生徒たちが自分で話し合い、自分たちなりの解決をしていたといってもいいだろう。
ついつい言い争いが起こらないように…と授業を設定してしまいがちだが、むしろ社会では意見の食い違いが生まれるのは当たり前。どちらかというと「自分たちで意見の相違を解決する」ということに主眼が置かれている学びのスタイルはより実践的であるように感じた。
どちらの教育のほうが良い悪いと判断してしまうのではなく、場面にあわせて「余白」や「介入の度合い」を使い分けていくことが大切なのではないだろうか。
※この記事はun-controlからの転載です。
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