『Pretender』が描く片想いの世界観
休校中の息子たちが一日に何度も熱唱する曲のひとつに、Official髭男dismの『Pretender』(作詞・作曲 藤原聡)があります。すごい人気ですよね。私は曲調で感覚的に好きか嫌いかを判断し、「いいなぁ」と感じたとき、初めて歌詞に耳を傾けるタイプ。歌詞がいいと、さらに好きになります。『宿命』もいいけど『Pretender』も好き。ピアノの楽譜も買いました。
「ひとり芝居」「ただの観客」
昨日お風呂に浸かりながらじっくり聴いていたら、韻を踏んでいるのも特徴的だけど、言葉選びが秀逸だなぁと。
君とのラブストーリー
それは予想通り
いざ始まればひとり芝居だ
ずっとそばにいたって
結局ただの観客だ
フツーの言葉に置き換えると・・・
君との恋愛の展開は予想通りで
好きになったけど片思い
ずっとそばにいたって見向きもされない
ってことなんだけど、こうすると、ただのよくある恋愛シチュエーションなわけです。
「片想い」を「ひとり芝居」、「見向きもされないこと」を「ただの観客だ」にするだけで、女性に想いを寄せる主人公が、自分をむなしいほどに滑稽にとらえている感じが伝わってきます。主人公と女性との距離感まで伝わります。「ひとり芝居」も「観客」もフツーの言葉なのに、ここで登場させることにものすごく重要な意味があります。
これが言葉の持つチカラ。
言葉がチカラを発揮するには、語彙力だけではなく、言葉選びのセンスも問われますね。
むなしいけど誇らしげでもある
同じ歌の中で、
その髪に触れただけで痛いや
という部分もあります。好きで好きで胸が締め付けられるような恋心を表現しているのでしょう。これを「キュンッ」とか「ズキュンッ」「ドキッ」みたいな俗っぽい言葉にしてしまった瞬間、この歌は個性を失います。
誰かが偉そうに語る恋愛の論理
何一つピンとこなくて
飛行機の窓から見下ろした
知らない街の夜景みたいだ
の部分も、思わず飛行機に乗って夜の上空から地球を見下ろす自分を想像しませんか? キラキラとしていてとても美しいけれど、それ以上でもそれ以下でもない。ただそれだけで心には響かないし、残らない。
好きになってしまったけれど価値観の違う相手。だから、「君とのロマンスは人生柄 続きはしないことを知った」「もっと違う設定で もっと違う関係で 出会える世界戦 選べたらよかった」となるわけですね。
好きだけどなんかむなしい、好きだけどなんか違うとわかる、離れたくはないけど必要以上に近づくこともしない。でも「綺麗だ」ということは素直に認める。
よくある片想いのシチュエーションなのに、悲しさというより独特のむなしさが漂うのは、言葉選びの巧みさがなせる技。だからこそ、「君は綺麗だ」「とても綺麗だ」という至ってフツーの表現が立ってきて、そこだけなんだか誇らしげにさえ聞こえてくるのです。
言葉が未来を変える
何が言いたいかというと、言葉の持つチカラはすごいよねということと、もっと大事に言葉を選びたいよね、ということ。大人はもちろん、この面白さを、できれば休校中のこどもたちに伝えたいのです。「今日は○○を見て楽しかったです」では、他人の心は動かせないよ、と。心を動かせたら、スゴイことが起こったりもするんだよ、と。未来に向けて。
とりあえず近場で実験してみます。ご報告はまたの機会に。