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充電をすること、使うこと
友人に会いに広島に行ってきました。
宮島とか牡蠣小屋とかお好み焼きとか原爆ドームとか、広島っぽいこともしっかりできて良かったんですけれど、いちばん良かったなと思うのがPARCOでやっていた BOOK PARK CLUBっていうポップアップイベントでした。広島中の古本屋さんがそれぞれの選書を出展してそれがひとつのスペースに集まっていて、幼稚園児のときに行ったフリマみたいな高揚感がありました!
PARCO前には451 BOOKSの移動販売のブックバンが出てて、可愛いピンズと気になった絵本を買っちゃいました^ ^
商店街にあった古書店にも寄れて、本屋さん大好きマンとしては大満足の旅になりました。
で、今回メインでお話ししたいことは別にありまして。夜行バスで早くに駅に着いてしまったので、友人たちを待つ間に蔦屋で本を読んでいた時に出会った言葉についてちょっとだけ綴らせてください。
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『はかれないものをはかる』という工藤あゆみさんの本(この日大好きな本と作家さんになりました)から1ページ、「十分な充電時間を計る」。ベンチでお互いの手を取り合うふたりの人の絵が添えられています。
このページを見たときに、もちろん良いなあ良すぎるなあっていうのはまず思ったんですけれど、その後にふと、「充電」について考えてしまいました。
お恥ずかしながら、まだまだ生まれて日の浅い僕ですが「昔」と言えるくらい前に、とある人との間でふたりにしか通じない共通言語のような感じで、ハグをすることを充電と呼んでいたことがありました。そのときはほんとうに何かが貯まっていく感覚があって、その後にある色々を頑張れる元気と、次のそれまでの色々を頑張れる理由をもらっているように思っていました。
けれど時間が経って大人に片足以上突っ込んでいる今、相手が誰であれ「人と会う」という行為は充電の消費を意味するように変わってきたような気がしています。もちろん楽しさだったり幸せだったりを感じることは多々ありますが、会っている間は充電を使いながら幸福感を得て、またそれが出来るように帰って充電を溜めているような、そんな感覚に変わってきているかもしれないなって。そんなことを考えました。
会うことで充電をするふたり、会うことで充電を使うふたり。人と人には色んな関係があるけど、きっと前者は長続きするんだろうなとか、それも少し違う気がするようなことを思ってみたり。