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褒めるのだって他人軸と自分軸じゃ気持ちが違う

私が十代を過ごした土地、ヴァージニア。
そこで学んだのは、褒めるという技術でした。

本当に自分が良いと思ったものを
シンプルにそれ素敵、と褒める女性陣に囲まれて育ったものだから
その感覚でストレートに褒めるのが私にとって普通なのだと思っていました。

「あなたの髪質いいわね、どんなヘアスタイルだってできちゃうんだもの」
「その靴のデザインいいわー、どこで買ったの?」
「あら、その帽子、自分でデザインしたの?かっこいいわぁ、真似してもいい?」
「あなたのその優しさは宝物ね」
「笑って。あなたには自然な美しさがあるんだから」
「アーモンド型の瞳、良いなーって思ってる」

向こうの女性陣

 私は冴えないガールでしたが、それでも無理なく褒めてくれた彼女たちに感謝しています。褒めていただくとやはり嬉しいのです。あなたのこと認めてるわよって遠回しに言われているようで安心もするのです。愛のある環境に身を置けたことに感謝です。
 
大人になり住む場所が変わり、文化も変わり、いろいろと大きく変わりました。日本という国の良いところを鮮烈に知り、また異なる土地の良いところも知った後となってはどちらも甲乙つけ難く。

 ただ自分がどう他人と接するかで葛藤しました。

いろんな人の良いところが見えても、それを褒めるのは八方美人じゃないかとか。私の褒め方は嫌味じゃなかっただろうかとか。あっちこっちで褒めていたら信頼を失うんじゃないかとか。え、でも私はそれがすごくいいと思ったのに口にしちゃいけないのも違う気がする。

良いところが見えすぎるのも問題なのかなって真面目に考えた

え、でもそれって他人がどう思うかが前提で考えてない?
自分に足枷つけて動けないようにして何になるんだろう?

真面目に考えてこれは自分の長所なのだと思うことにしました。
他人の良いところが見える。それはもう変えようがない。
ただその他人の良いところを自分と比較するのはやめるべきだと思いました。
不毛。私は私であってその人にはなれない。それをまず理解するべきだと。
自分になくて良い部分は取り入れられたらいいけれど、
取り入れられなくても落胆しないのが大事。
それでもやはり良いなぁって思うなら褒めてしまう。

他人にどう思われるかよりも、自分の気持ちを大事にしようと思いました。
言いたいことを伝えないのも自分にとってプラスになるなら伝えようと。

自分を大切にしないと自分が苦しくなるのは本当だったんだなと。
人に危害を加えないのも大切だけど、自分にも危害を与えないのもっと大事。
自分で自分のメンタル苛むのは辛すぎる。

他人軸から自分軸へと変わることにしました。

ちょっと生きづらさが減ったかも。

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