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僕がボカロPとして「メテオーレ(météore)」という曲をどうしても作りたかった理由

2024年12月14日、師走も後半に差し掛かろうかというタイミングで、ニコニコ動画というプラットフォームで開催された「ピアノバラード投稿祭」。

そこで「メテオーレ(météore)」という曲を投稿したわけですけど、少し説明が必要な作品となりました。

冒頭からネタバレで恐縮ですが、この曲は大サビの一番盛り上がってる2分17秒でいきなり終わって、歌詞テロップが静かに流れるだけ。音が戻ってくることもなく2分30秒まで無音状態でそのまま制作クレジットが入って終わってしまいます。ラジオのON AIRなら放送事故まがいの大クレームになる作品でしょうね(笑)

今回はそんな「メテオーレ(météore)」という曲がどうして生まれたか?
また、なんでこんな奇怪なアレンジになったのか?
制作者の立場で書き連ねていきたいと思います。


「さよなら君は夏の花火」が呼んだ波紋

その前にまず、遡ること2ヶ月前の10月26日に同じくニコニコ動画に投稿された「さよなら君は夏の花火」という曲について触れておきます。

■さよなら君は夏の花火
作詞・作曲・編曲:ミキヲト(歌唱:宮舞モカSV)

蒼い風が吹いて 君の姿が 遠く消えた
声も届かないよ 線香花火 燃え落ちたね

夏が秋に変わる 1年前に僕ら 出会った
夏の蝉もいつか 静かになって やがて消える

あの賑わいの中で 遠くに聴こえた花火
星が綺麗ね おやすみ それが最後の言葉

君がいた季節は 時の流れが 止まっていた
大切な想いは するりこぼれて 見えなくなる
 
会いたくても会えない 君の存在想うよ
僕をからかうのやめて 夢の続きを見させて


この曲を聴いて、この歌詞を見て、どう思いますか?
歌ってるのはSynthesizerV(合成音声)の宮舞モカ。モカは自分を「僕」と呼称して「君」について歌ってるんだってわかりますよね。
この歌詞で「君」についての描写はというと、

  • 遠く消えた

  • 声が届かなくなった

  • 花火のあと「星が綺麗ね、おやすみ」との言葉を残して消えた

さらに、客観描写やエピソードを見ていくと

  • 線香花火が燃え落ちた

  • 夏の蝉も静かになって消えた

  • ふたりがいた季節は時の流れが止まっていた

  • 大切な想いはスルリこぼれて見えなくなる

  • 会いたくても会えない

どうも不穏な雰囲気ですね。「君」はもうここにはいなくて、「僕」がひとりでモンモンと想いを募らせているらしいことがわかります。そしてある想像が頭をもたげます。
----- 「君」はもうこの世にはいないんじゃないか?

もしそうなら、一瞬ですべての説明が片付くわけです。
だけど、歌詞の中に「命を失った」とはどこにも書いていない。だから「君」は何らかの理由があって「僕」の前から姿を消してしまったと考えることも出来るわけです。

一方で「僕」は「君にからかわれている」ことを告白し「夢の続きを見せて」とも言っています。しかし「声が届かない」「想いがするりこぼれて見えなくなる」とも言ってますし、「僕」と「君」の距離感がちょっとわからない。「僕」と「君」の関係性に少し違和感を感じる部分です。

あともうひとつの大きな違和感は「会いたくても会えない/君の存在想うよ」という歌詞。どうして「僕」は「君を想うよ」じゃなく「君の存在を想うよ」と表現したのか。「君」という物体ではなく、「存在」という観念的な概念なのか。ここも違和感を感じる点です。

前置きが冗長になってしまったけど、この曲のこの歌詞ついて、あるリスナーの方から「歌詞に影を感じる」「もう(この世にいない)って可能性もあるのか」という指摘をいただきました。

確かにそう思われても仕方ない歌詞だったから、当然予想はしてまたけど、胸がザワザワして後悔の念が湧き出てきました。アップテンポのロックナンバーに少し切ない要素を入れたいぐらいの気持ちだったのに、平和な落としどころを用意するでもなく、そのまま曲として完結させちゃったんですね。ちゃんと歌詞を聴いた人ほど「もやっ」としますよね。

曲を制作している時っていうのは、細かいところばかりが気になって、全体を俯瞰する余裕を失ってるというか、実際に公開して聴いた人がどう感じるか、そういうことにまで気が回らない。これは、ちょっと不本意だったと急に我に返ったわけで。

「僕」と「君」の物語を再構築する

おかげさまで「さよなら君は夏の花火」は公開曲としては好調で、ニコニコとYouTubeを合わせて4,500再生を超え、いまだに聴かれ続けています。

でも、このまま終わらせてはいけないという気持ちも日に日に高まっていて、今回の「メテオーレ(météore)」制作を決めました。そしてこの作品を書き上げるにあたって、幾つか前提を決めました。

  • 「君」がこの世に生きていること

  • 「君」が「僕」を想っていること(嫌で姿を消したわけではない)

  • 「君」と「僕」が、いつかまた会える可能性を示すこと

■メテオーレ(météore)
作詞・作曲・編曲:ミキヲト(歌唱:GUMI)

夜空に消えていく流星 
私のこと見ててくれる
この橋を渡ればもうすぐ 
ふたり出会った街の風景に変わる
世界は美しい 美しいのになぜ
時のはざまに揺られ 少しづつ壊れてく

夜空に消えていく流星 
私のこと もう忘れていいよ
あの橋を渡れば 
あなたを思い出して涙が止まらなくなる
世界は変わらない 変わらないのになぜ
色褪せていく あなたと私の時間だけ

夜空を流れてく流星 
お願いどうか 消えないでいて
あなたを思い出すわずかな時間でいいの 
輝いていて
夜空に消えていく流星
私のこと
(見ててくれる?)
(花火の季節にまた会えるよね)


物語のための魔法のアイテム

この歌詞を読むと繰り返し出てくるワードがあります。それが、この物語を再構築するための魔法のアイテムです。

  • 流星

  • 世界

まず「流星」は「花火」と対になるワードです。儚いものの象徴。消える命を連想させるアイテムです。「君」が「儚い夏の花火」なら「僕」は「消えていく流星」なんですね。歌詞の上からは「僕」の生の気配がまるで感じられません。流星のように「君」を見守る存在としてしか描かれておらず、「君」は2番で「僕」を思い出して号泣までしてしまいます。

そして「橋」から連想されるのは、何かと何かをつなぐということです。それは「生」から「死」への段階をつなぐことかもしれないし、「君」と「僕」をつなぐということかもしれない。また織姫と彦星の逢瀬の場所となる天の川を想起させるかもしれません。

そして「世界」です。「世界は時のはざまで少しづつ壊れていく」「世界は変わらないのに、その世界に生きるふたりの時間だけが色褪せていく」というのはどういうことなんでしょう。矛盾してる表現のようにも思えます。

もしかしたら世界はひとつだけじゃないんじゃないか?状況の異なる世界がパラレルで存在している。1番と2番で歌ってる世界は違う世界なんじゃないか?そういう考え方も成り立つのです。

もう少し細かく見ていくと、1番では世界が物理的に壊れていく。2番は世界に流れるふたりの時間が壊れていく(色褪せていく)。つまり軸が違うんですね。これはふたつの世界の相違点を炙り出す要素です。ふたつのパラレルな世界が崩壊してひとつの世界に統合される前兆なのかもしれない。そういう妄想を描きました。

そして、ここからが重要なのですが、もしそのパラレルな世界にふたりが引き裂かれて別々に生きているなら、やがてひとつの世界に統合される(=つまりふたりはまた一緒になれる)可能性が見えてくるんじゃないかと考えたんですね。

幸せな結末

少し話題を変えます。
MVの最後、2分17秒でいきなり音が止まって流れるテロップ。
「花火の季節に、また会えるよね」
これはどういう意味なんでしょうか?時系列を辿ってみます。

  • **01年秋 ふたりが出会った

  • **02年夏 「僕」が存在して「君」はいない(さよなら君は…)

  • **02年秋 「君」が存在して「僕」はいない(メテオーレ)

  • **03年夏 「君」と「僕」が会える???(花火の季節)

自然な時系列で読むとこうです。02年夏と03年夏の間にパラレルワールドの統合が起こり03年夏にふたりは再開して花火を見る。そういう結末を最初は考えました。ハッピーエンドを書くなら、素直なストーリーのようにも思えます。

でも、もうひとつの考えもあるなぁと思い始めたんです。
つまり、02年秋の段階で「君」が言う「花火の季節」というのは、02年夏の花火大会が行われたあの日であってもいいんじゃないかって。前述したように、時間と空間が壊れねじ曲がったとしたら、過去にタイムリープするストーリーも成立するんじゃないかって。

そうなると「僕」がひとりぼっちだと思ってた02年夏は、実はひとりぼっちではなくて、「君」は「僕」の隣に存在してたということになりませんか?先にも書いたように、「さよなら君は夏の花火」で感じた「君」と「僕」の間にある距離的な違和感は、このあたりにも起因するんじゃないかということで説明もつきます。

未来が変われば過去も変わるんでしょうか?過去を変えて未来を変えてしまうのは御法度だとSF映画では度々言われます。でも逆はどうなんでしょうね?
「僕」と「君」がひとりぼっちだと思ってった長い長い時間は、実は決してひとりじゃなかった。最初からずっと一緒だったし、修正が加えられた過去を起点にしてこの先もずっと一緒に生きることになるんです。

僕はこの結論が一番幸せだと思うのです。
皆さんはどう思いますか?

あともうひとつだけ。謎の解明が残ってましたね。
どうして、「花火の季節に、また会えるよね」という一番伝えたい歌詞をGUMIに歌わせなかったのか?ということです。
綺麗に歌わせてアウトロも付けて綺麗な終止符で終わる。バラードの完成度を求めるならそれでよかったはずなのに。

すみません、実はこのあたり、明確な記憶がなくて。
ただこのアイデアが浮かんで、やってみようと決めるまでは躊躇がなかったような気がします。とにかく投稿日が迫ってたので決めるしかなかったという(笑)

もしかしたら、まだまだ続く二人の物語に終止符を打ちたくなくて、強引にプレイバックを止めてしまったのかもしれません。

長々とお読みいただきありがとうございました。

追記)
Xのフォローワーさんからいただいた考察です。特に冒頭のフランス語の文節分解の下りは、考えてもなかった視点でビックリしました(笑)ありがとうございました。

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