#1 おわりの はじまり
as of June 9, 2023
「終わりの始まり」
この言葉は、よく悪いことを暗示するときに使われるものでしょうか?
今のわたしには、
とてもポジティブに輝いて見える。
思えば、幼少期から、
とても繊細な自分の気持ちの取り扱い方がわからず、悪い方にも、良い方にも、
大きくブレブレだった。
まるで、おもりを一番下までさげて、
ブンッ!ブンッ!と勢いよく左右に揺れるメトロノームのように、両極を行ったり来たり…
何が核心かわからなかった。
自分の確固たる気持ちがわからないから、
「自分」というモノがわからず、
自分は中身の無い
「からっぽの器」
なだけの無生物なのかと。
でも今は、その内部がしっかりと満たされているのを感じとることができる。
今は、その輪郭もくっきりと、
その満たされた器の温かさも、重さも、
感覚として、その存在を感じとることができる。
やっと生物になれたようだ。
それを理解するまでに、何年かかったと思われますか?笑
40年……笑
(遅すぎやろっ!笑)
わたしは、もうすぐ40歳になります!
(わーい!)
人生の折り返し地点ですね。
(勝手に40で折り返しと決めるなー!
というツッコミも聞こえてきそうですがw)
正直、今まで自分が「絶対にやりたい!」と思ったことは、やり遂げてきた自負はあります。
(もちろん望んだことが、そこまで多くないからでもありますが)
ただ、詰めが甘くて中途半端なことが多いのが欠点なのです、、、、
人生の折り返し地点である40歳を目前に、
これまで撮りためたお気に入りの写真たちと、
自分の徒然なる気持ちを綴りたいと思い始めてみました。
素人ですので、何卒あたたかく見守っていただけますと有り難いです。
「終わりの始まり」
それは、
今39歳のわたしからすると、
折り返し地点からの「再スタート」
そして、それは、
幼少期のわたしにとっては、きっと
「人生の終わりに向けての”生”」
そして”無意識の”、その「生への渇望」
だったんだろうなぁ…
「何のために生まれ
何のために生き
何のために死ぬのか」
ずっと考えてきたこと。
どうせ死ぬなら、何故生まれてきたのだろう?
その純粋な疑問に、
最終的な答え合わせができるのは、
最期のその、瞬間。
『あぁ、生きてて良かった!
あぁ!人生楽しかったなぁ!』
そう、思えたなら正解かな、笑。
だから、自分のやりたいと思ったことをやろう!
と、「仮の答え」を小学生の時に決めた。
中学生の時、そして39歳の前半に、
また答えに迷ったけど、よくよく熟考して、
やはり、また同じ「仮の答え」に辿り着いた。
好きなこと、なんでもいいから、
好奇心旺盛に突進してみよう
やらない後悔よりも、やる後悔
もし出来る環境にあるのに「する選択」をしなかったら、
いつか上手くいかなくなった時に、「しなかった選択」を、何かのせい、誰かのせいにしてしまいそうだから。。。
また、少しずつ、いちから始めてみよう。
…そして、この投稿が「始まりの終わり」にならないように願って、、、笑。
Best wishes ;D
Sincerely,
Mikity
※見出し画像の写真: a photo taken in Melbourne, Australia by Mikity
(The copyright of this content belongs to Mikity - the writer)