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自分の目でじっくり見る、問う。小さなメディア、個人ライターのていねいなまなざし。【美術館再開日記14】

何を見せようとしているのか、できあがって初めてわかることがある。「作品のない展示室」はそうだった。6月2日の美術館再開後、私は職場pcに「緊急事態対応」という個人フォルダを置き、そこに「作品の〜」用フォルダもつくったが、当初つけた事業種別名は「無料開放」。「展覧会」でも「展示」でもなかった。

実際、館内では「作品のない展示室って、どういう種類の、なんなんだろうか」と、みんな当惑していた。なんだろうねえ。とにかく「展」じゃないね。

困ったのは広報チームである。企画展示室をフルに使うけど「展」じゃないもの、を告知するカテゴリが、サイト上にない。どうしようもないので、とりあえず「企画展」ページに載せた。「展」ではないが「企画」ではある、という強引な理屈である。笑うしかない。6月半ばのことだ。

むろん、最後の展示室では「特集 建築と自然とパフォーマンス」なる展示コーナーを設けることはみんな知っていたが、それはあくまで「おまけ」扱いだったし、そもそも私自身そう思っていたし、そのような雰囲気の告知をした。ところが。

空間全体ができあがり、頭から終わりまで歩いてみて、違う、と直感した。もしかして、これは思っていた以上の意味を発生させる企画になっている、のかもしれない、という体感だ。見えてきた「意味」の詳細は、以前の日記でどうぞ。↓

さて、「作品のない展示室」の紹介記事は当初、最後の「特集」にふれないものが多かった。当然である。こちらの情報の出し方の問題だ。「見どころ」を紹介するプレスリリースもチラシもつくらなかった(ただの無料開放にそこまでしない)し、「特集」がおまけにしか見えないようなニュアンスの告知文を出していたのだし。

情報として何かが間違っているわけではない。開幕後にわざわざ告知文を書き直すほどでもない。別に怒る人もいないし、来場者はどんどん増えているし、それより来年の金勘定をしなきゃだし、まあいいか。

ところが。

開幕3週目に入るころ、小さな変化が起こり始めた。「作品のない展示室」を頭から終わりまで歩いて、実際に自分の目に映ったものを、ていねいに記事にするライターが出てきたのだ。なぜ「特集」があるのかという読み解きが、そこにあった。

それまでも「特集」がまったく無視されていたわけではない。が、「作品のない展示室」全体の一部をなすものとして読み解かれたことはない。そういう作業には少々時間がかかる。いや、現場を歩いてみて自分の問いを持たなければ、そもそもそんな読み解きは始まらない。

私が「特集」担当だから、そこが注目されると嬉しい、というせこい話ではない。問題にしているのは「問いを持つライター」の存在である。「作品のない展示室」という、当事者たちがよくわからないままつくった(のに妙なキャッチーさが出てしまった)ものを、愚直に見つめて問うライターがいる。それも小さなメディアに。という発見は、私にとって大きな希望になった。

(一見ぼやーとした写真は、ガラスの展示ケースへの、くっきりな映り込み。)


美術館再開47日目、7/25。「作品のない展示室」について、「お」と思う記事が。

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都内のコロナ感染確定者ほぼ300人。

東京から出るに出られないし
連休でもほかに行くところもないから
「作品のない展示室」に行くよ/行ったよ、と
知らせてくれる友人知人。

ひどい混雑はしていない様子。安心。
受付スタッフの増員が見込めなくても
まあ運営できそうだ。

※この前の週は、少々大変なことになっていた。
「あ、私、いま感染したかも、と思うような
瞬間がありました」と、淡々と語る受付スタッフの声も拾った。
増員が必要なのか。でもその予算は。
判断できる立場でもなかったが、考えてしまった。


さて、開幕から3週間、取材記事に「お」と
思うものがいくつか出てきた。
「特集」のところまできちんと見て、
それを含めて「作品のない展示室」が
全体として何を伝えているかを書こうとするもの。

ふだんから応援してくださるライターさんの
記事(これから出る←出たのでリンク貼ります)もあれば、↓

全く存じ上げない方のもある。

共通点は、小さなメディアに寄稿されること。
おそらく内容も字数もかなり自由度が高い。
ライター個人の視点が最大限生きる。

存じ上げないほうのライターさんの文章、
明らかに現場で「特集」の解説パネルや
解説キャプションを読んで自分でメモを取り、
それをもとに書いていることがわかる。↓


※「特集」の解説類はweb上に出しておらず、現場でしか読めなかった。以下の日記に再録しておいたのでよかったら。


このライターさんに、
こちらで特別な対応やお願いは何もしていない。
むろんお会いしてもいない。
あくまで自身の眼とアンテナでじっくり
メッセージを受けとめてくれたことに驚く。

大手メディアがダメだという話ではない。
ただ、ちょっとだけ複雑なこと
(今回の場合だと、「コロナで」というような
キャッチーな理由だけでは語れない、
この館特有のユニークな活動のこと)、
少し時間をかけて解きほぐさないと見えにくい、
そういうものがすくいとられるには。

それを可能にする態度と時間の使い方を、
書き手に許すようなしなやかさのあるメディアが
必要なんだろう、とは思う。


※上記「ナンスカ」の記事のライター、ぷらいまり。さんはその後、「作品のない展示室」のクロージング・プロジェクト「明日の美術館をひらくために」のことも、noteの投稿で個人として紹介してくださっていたことを、先日知った。

※この日記を書いた少しあとで、質・量ともにびっくりするほど充実した記事が出た。artscapeの英語版記事である。「特集」込みの「作品のない展示室」はもちろん、2階の収蔵品展や教育普及活動の情報も含めての取材記事。流行りのトピック紹介というより、そのトピックを入り口に、館全体の活動を有機的にとらえようとしている。和訳があればいいのに。


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