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「作品のない展示室」が始まった。【美術館再開日記8】
「作品のない展示室」初日。近隣住民や取材狙いの記者が、開館と同時にどどっと入場。始まる前からえらく話題になってしまっていたのだ。主担当者は朝から晩まで取材受けっぱなし、広報担当者は当惑しっぱなし。webに写真1枚とあいさつ文アップしただけなのに。
副担当の私自身は、「特集」の展示が仕上がって単純に嬉しかった。展覧会以外の活動は、いつでも本当に見えにくい。それを展示室できっちり堂々と見せられるのは、ほぼ奇跡なのだ。当館のように、教育普及活動などを長年しっかりやっている館であってもだ。(世田谷美術館って展示以外もなんかやってたの?という方は、ぜひ連載初回へ↓)
初日に駆けつけてくれた同業の友人知人は、それぞれの館で長らく教育普及プログラムを担当している人たちだった。偶然ではないと思っている。
ともかく、この「特集」も含めて、「ふだん見えないものを見せる」ことが「作品のない展示室」全体のメッセージだと、私は確信していた。来場者の皆さんにどこまで届くか、この時はまだわからなかったけれど。
コロナ感染者増加と豪雨災害のニュースの中での開幕でもあった。私たちはどうにもならない状況にいる。空っぽの展示室は夢のようで、やはりいやにリアルでもあった。
美術館再開29日目、7/4。「作品のない展示室」開幕。「特集」も見てね。
東京のコロナ感染者131人、県外外出自粛要請。
熊本、鹿児島で数十年に一度の豪雨と災害。
そして「作品のない展示室」初日。
ぼつぼつお客さんが入る。混みすぎない。
夕方には展示室貸し切り状態の時間も。
皆さん写真を撮って帰るが、
イヤなわさわさ感はない。
インスタにはさっそく#作品のない展示室
というのがあらわれた。
下の写真は、「特集 建築と自然とパフォーマンス」の眺め。
ちなみに「特集」の部屋は撮影不可だが、
これは部屋の手前から撮ったもの。
「特集」には大画面がふたつ。向かって左には記録映像。
2018年「ブルーノ・ムナーリ」展の記念パフォーマンス、
「風が吹くかぎりずっとーブルーノ・ムナーリのために」。
構成振付=ルカ・ヴェジェッティ、出演=鈴木ユキオ・竹内英明、美術=吉田萠、音楽=パオロ・アラッラ、音響=齊藤梅生、写真=堀哲平、記録映像は映画監督の杉田協士。
で、右の壁面には、
セタビ30数年のパフォーマンスの歩みを見せるスライドショー。
シリーズ「トランス/エントランス」のひとつ、
2014年の「ドキュメンタリーオペラ「復興ダンゴ」」が写っている。
音楽=野村誠、ダンス=砂連尾 理、映像=上田謙太郎、写真=杉本文。
えーと後でみんなをタグ付けしよう。
※「復興ダンゴ」は2011年の東日本大震災をきっかけに、老人ホームで生まれた作品。2012年の初演を見て、これは当館でぜひ再演・再解釈してほしいと思い実現させた。コロナ禍の今また観たい作品でもある。以下、アーティストのコメントがあるのでぜひ↓
他には何が観れるのかな?と思った方は
ぜひ下記のパンフレットPDF の最終ページをご覧ください。
出品リストがあります。
古いところだと牧阿佐美バレヱ団に中村雀右衛門、
韓国のサムルノリにセネガルのドゥドゥ・ニジャエ・ローズ。
これはさすがにタグ付け無理だ笑。
明日も出勤します。
※館のパフォーマンス・プログラムに注目し、展示までするのはこれが初。時間がないなか、30数年分の歩みを思い切って整理し、解説を書いた。こういうものは普通カタログに載る。が、今回カタログはない。チラシもプレスリリースも、あらゆる印刷物を欠いたまま「作品のない展示室」は始まり、終わった。あいさつ文や出品リストはweb上にあるが、解説文は消えてしまったテキストだ。記録としてここに載せておく。私自身はこれを出発点に、今後も考え続けていくことになる。
特集 建築と自然とパフォーマンス
1986年の開館以来30数年、独特の建築空間と館外の自然環境を活かしつつ、あるいはそのときどきの展覧会に合わせて、当館では音楽やダンスなどのパフォーマンスを数多く行ってきました。およそ400本に迫るそれらから約40本を選び、記録に残された写真や映像、チラシなどのアーカイヴ資料を紹介します。
開館の年は「始まりのエネルギー」ともいうべき熱気があふれていました。1986年5月、「開館記念フェスティバル」と銘打って、韓国の伝統芸能を現代に継承するサムルノリ、パリを拠点に活躍するセネガルの音楽家ラミン・コンテ、そして独自の身体表現で注目されていたダンサー田中泯のパフォーマンスが、館の内外で立て続けに行われています。芸術活動を生み出す根源的な力を、西洋美術の主流と見なされない領域から探ろうとする企画展「芸術と素朴」と共鳴するようなラインナップでした。
その後も、美術館前の広場、カフェのあるパティオ、くぬぎの広場などの野外や、講堂、エントランス・ホール、あるいは展覧会の前後で一時的に空きスペースになった展示室などを利用しながら、多様なライヴ・パフォーマンスが行われてきました。特に1980年代から90年代は、豪華な野外バレエ公演や、いわゆるワールドミュージックの隆盛を背景とする海外アーティストの招へい公演が、毎年のように実現しています。
それらは、好況下の民間企業による協賛に支えられたイベントでしたが、学芸員個々人の関心や人的ネットワークを駆使した独自の企画も、早い時期から展開していました。展覧会を起点に構想されるパフォーマンスは、しばしば展覧会テーマや作家へのすぐれたオマージュとなりました。
2000年代以降は、アーティストとともに空間の特性を読み解き、あるいは美術館という場のありようについて議論しながら、当館ならではの新作パフォーマンスが継続的に創造されるようになりました。世田谷美術館の空間のそこかしこに、こうした数々のパフォーマンスの気配を感じていただければ幸いです。
美術館再開30日目、7/5。「贅沢」感を数値化すると。
都内のコロナ感染者111人、都知事選あり、
コロナ対策好評につき小池百合子再選。
「作品のない展示室」は1000平米。
昨日も今日も、平均で30分あたり20-30人の来場者があった。
なんもないので長くて30分の滞在だろうと読み、
30分単位で人数を集計してみているのである。
もちろんコロナ対策。万が一にも「密」を発生させてはいけない。感覚ではなく数値で示さねばならない。こんなカウントは初めてだ。
1000平米に、同時に30人。ひとり30平米確保。
めっちゃ贅沢、という感覚を数値化すると
そうなります。ストレスもクレームもゼロ。
子どもが少々騒いでも空気がヒリつかない。
企画内容への評価はまた別問題としても、
ゆっくり感じる&考える条件ってこういうこと、
だろうとは思う。同時に、さらに思うのは、
それを「贅沢」と(半ば無意識に)特別視するように
呼び続けていくのって、どうなんだろうかということ。
夕方の展示室。西陽がさす。
床に、壁に、光が映像を映し出す。
壁のは風に揺れる葉と枝の像。
ずっとフルフル揺れていた。
見惚れる。
のであるが、
北海道は積丹半島出身の当館館長に言わせると
「こんなもんは「自然」じゃない」らしい。
愛でる?自然をバカにするな。軽々しく口にするな。
そうかもしれない。
九州の豪雨災害のことを思う。
でも見惚れる。何が正しいかわからない。
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