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臨時休館中に考えたこと。【美術館再開日記1】

出勤したら休館になっていた

世田谷美術館が臨時休館に入ったのは2020年3月31日。決定は前日夕方で(休館日だった)、広報チームはとにかく公式サイトに休館のお知らせを出した。しかし内部では連絡がうまく行き渡らず、出勤してきて「え、今日から休館?!」と初めて知るスタッフもいた。間抜けな話だが、それくらい誰もがどう動けば良いのかよくわかっていなかった。
実はその3日前に公開した館のブログでは、コレクション展関連の講演会は中止にしたけど講師のトークはポッドキャスティングで聴けるよ、というお知らせのついでに「臨時休館するかも」とさりげなく予告していた。これも後で気づいた。

上層部もヒラも非常時の動き方をつかめないまま、4月7日に緊急事態宣言を聞き、翌週から在宅勤務+必要な場合のみ出勤に。再開は2020年6月2日。
ほぼ2ヶ月の休館で済んだが、先が見えないストレスは大きかった。

1階の企画展が中止となったので、担当者らは後始末のためしばらく出勤。2階のコレクション展は展示替えせねばならず、その担当者らもしばらく出勤。お子さんのいるスタッフは家では仕事ができないので「事故休暇」。それ以外は在宅勤務。2ヶ月、バラバラである。
でも、実は、ふだんからみんないろいろバラバラの事情を抱えて働いていたのだ。働き方の暗黙のモデルはまだまだ「昭和(のお役所)」仕様だが、もういいかげん変わる時期が来ている。それがくっきり見えたと思った。

その2ヶ月間、私自身は、国内そしてニューヨークに住む家族や友人、ロンドンやボローニャの友人知人の安否を日々気遣いながらも、次年度の企画展のコンセプトを練り上げるため、家で黙々と関連文献を精読する日々・・・になるはずが、頓挫。5月半ば、2年先までの企画展予定はほぼ白紙撤回され、事実上ゼロから考え直すことになった。

落胆しなかったわけではない。でも、すべての借用作品の集荷を済ませ、展示作業まで秒読みだった同僚の企画の中止を思えば、かすり傷というべきである。同僚が精魂込めてつくりあげたカタログ自体は、館内とネット上で細々と売っている。展覧会が終わってしまえばカタログしか残らないが、展覧会をやらなくてもカタログは残る。生まれる前から形見がある。奇妙なものだ。

「治った人間が率先して社会を再起動しなければならない」

このような日々に、何度か読み返したnoteの記事があった。ニューヨーク在住のクリエイターの方の「NY感染体験記」。刻々と変化する街の状況、未知の症状の具体的な進行具合に加え、治るまでの過程でどのような感情の起伏が生じるのか、というもろもろが(あえて言えば)おもしろく鮮やかに綴ってあり、家族や一部の同僚にも勧めた。読むと覚悟が決まる。そして前向きになる。そういう記事だった。

時期としては、コロナウィルスの蔓延に伴って、弱者に冷淡な社会構造が、日本でもあちこちであぶりだされていた頃だった。fb日記には、儚い夢のごときソメイヨシノから、開花へと力を漲らせている八重桜にバトンが渡されるような写真を添えて、この記事についての短いコメントを残した。

「心身ともに辛すぎるから感染してはならない、というメッセージ以上に印象深かったのは、幸運にも「治った人間が率先して社会を再起動しなければならない」という一言。この(ひどい)社会をマシなものにするためにも私たちはサバイブせねばならない」。

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厄災をくぐり抜けて、それぞれの領域から社会を再起動するしかない。そういう類いの「覚悟」が全身に満ちるのはかつてないことだった。以後それを燃料に、美術館というフィールドで何を、何のためにやっていけばいいのか、本当に大事なことは何なのか、粘り腰で考え始めることになる。

まずは大きな地図がほしかった。その点で、4月中旬だったか、ミュージアムとコロナ関係のSNSで見つけた、ICOM(国際博物館会議)とOECDによる「ポストコロナに向けての改革と計画」がテーマのオンラインシンポジウムは役立った。最初にどれだけ視野を広く持てるか、大枠をどう組み立て、その中にどういう名前の引き出しを嵌めていくか。そこには嵌まらないが、自分のなかの「とりあえずボックス」に入れたほうが良い話題はあるか。

ICOMというのは超巨大かつ国際的な、博物館の現場のエキスパート&研究者のネットワークだが、2019年、そこで提案されたミュージアムの新しい定義が「ラディカルすぎる」と紛糾、しかも同年9月には3年に一度の大会が京都で開催されたので、日本の美術館界隈でも多少の関心を集めた(はずである)。議論の的となったミュージアムの新定義、そしてICOMの大会全体の様子については、和歌山県立美術館学芸員の青木香苗さんによる渾身のレポートを読んでいただきたい。今読み返すと、コロナで真剣に考えざるを得なくなった課題はほぼすべて、すでに出そろっていたことがよくわかる。

このICOMのシンポジウムを視聴したあとは、オンラインコンテンツをそんなに熱心に漁ることはなかった。本当に大事な人たちとのビデオ通話、あるいは長い長いメールのやりとり、そして日々の散歩と料理から、みずみずしい何かを得ることが多かった。想像力、がすべての結び目だった。fbに書きつける文章は、短くなっていった。

そういえば海外のアート系ニュースサイトでも、この前後からアーティストやキュレーターの料理ネタがちらほら出ていた。6月に入ってからの話だが、ニューヨークのグッゲンハイム美術館の華麗なる大御所がチョコチップクッキー308個分(ヘンな厳密さだ)のレシピを紹介しているのをスマホで目にしたときは、バスの車内でぐふ、と笑ってしまった。


以下、4月と5月の短い日記から。

2020年4月24日 近所の古墳の上で

家に籠り始めて2週間。
朝、家人と1時間ほど歩いている。
近所には古墳だの横穴墓だの、
1400〜1500年くらい前の墓所がある。
見晴らしが良い。
いろいろと遠い。
こういう「距離」で自分を保てる。のか。

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2020年5月2日 カブとピーマン

5月。
料理しながら野菜をしげしげと見る。
きれいなもんだ。
ただのカブとピーマンをしげしげと。
小学生の頃の感覚でなんとなくそのへんに
置いといたらカブはいつの間にか
捨てられてた笑。

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