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深夜2時、目黒にて

本記事は、エッセイ集『Collage(2020-2024)』に収録されています。


目黒に引っ越したのはかれこれ10年ほど前。当時勤めていたデザイン会社のオフィスが恵比寿にあり、できるだけ近い場所に住みたくてたどり着いたシェアハウスだった。そこから3年ほど職住近接暮らしをしていたのだが、目黒という街の思い出を脳裏に描こうとしても、浮かぶものはあまり多くない。それほど当時のわたしは、めちゃくちゃに仕事に没頭していた。

オフィスから自宅までは電車で10分、徒歩でも10分。自然と電車には乗らず徒歩で通勤するようになった。終電がないことで歯止めがかからなくなり、毎日のようにオフィスがあるビルを最終退館する日々。手慣れた手つきでセキュリティをかけ、深夜の目黒三田通りを歩いて目黒方面へ向かう。

夜中に女性が夜道をひとり歩き。日本がいくら治安が良い国だとはいえ決して褒められた習慣ではなかったが、行き交う人はまずおらず、大都会がひっそりと寝静まるなか、誰にも知られず一人で歩いているのは、悪い気分ではなかった。


ある日の帰り道、月がひときわ明るく輝き、コンクリートが光を反射して煌めき、ひっそりとなんの音もしないその空間を、わたしは少しだけスキップしながら歩いていた。アートディレクターになりたてで経験の浅い自分に、撮影にこだわれるプロジェクトが舞い込んできた幸運への喜びだったか、深夜まで手を動かして取り組んだアウトプットに対する満足感だったか、理由は正確には思い出せないのだけど、ともかく全身に幸福感が満ち満ちていて、それを体で表現したくなったのだ。夜空を見上げ、月を眺め、大きく息を吸って、ふうと吐いた。

ハードワークすぎてハイになっていた点は否めない。当時は週に何度も徹夜をするような生活で、帰宅してもシャワーを浴びて着替えたら一睡もしないまま仕事に戻り、休憩時間に仮眠をして済ますなんて日も少なくなかった。会議時間になっても現れないことを心配した上司からの電話で起きた日の朝、やってしまったと青ざめたけれど、電話口で怒られることはなく「無事ならよかった」とだけ言われたのは、きっとそれだけ誰からみても尋常でないスケジュールで動いていたのだろう。

もちろんそんな生活を長く続けることはできず、数年が経って限界を超えたわたしは、「終電とオンオフの切り替えがある生活」を求めて遠く離れた海の近くの一軒家に引っ越した。通勤時間は10分から80分と大幅に延びたが、電車に1時間ほど揺られながら帰宅する間に、仕事モードのスイッチを切ることができるようになった。もしもあそこで引越しを決断していなければ、まったく別の人生になっていたに違いない。



結婚し、家族が増えて、気づけばいまが人生で一番健康的な生活をしている。夜は日付が変わる前には眠り、朝早く起きて、毎日自炊して、子どもと一緒に湯船に浸かって、絵本を読んで、そしてまた眠る。いや、でも運動の時間が取れていないので「人生で一番」は少々言い過ぎかもしれないけれど、それでも以前と比べればわたしにとっては劇的な変化だ。

慌ただしくも穏やかな生活を繰り返していると、自分が寝食を忘れて仕事に没頭していたことが、だんだんと遠い昔の出来事のような感覚になってくる。家事育児と仕事の両立のカギは、ともかくちゃんと眠ること。たまに睡眠不足になったとしても子どもと一緒に強制的に寝落ちしてしまうので、睡眠負債を溜め込まない(というか、溜め込めない)ようになった今、以前の自分はいかに頭の働かない効率の悪い状態で働いていたのかがよくわかるようになった。

その穏やかな日々の中に、穏やかじゃない量の野望を詰め込みながら、今日もわたしは悪戦苦闘を続けている。こんなデザインじゃお客さん先に持っていけない、という気持ちで夜から朝まで手を動かして、限界が来たら眠っていたあの日々。オフィスの椅子を並べて寝転がってでも、パソコンに向かいながらコンビニ飯をつまむ日々が続いても、ただただ納得がいくまで没頭することができていた過去の自分の姿が、今の自分が自信を失くしかけたときに、ふっと脳裏に立ち現れる。



深夜2時、誰もいないあの道で、ぴょこんとその場で跳ねたくなってしまうくらいに満ち足りたあの感覚を、まだまだ、何度だって味わいたいのだ。今日もわたしは、リビングのカーテンを開け、朝日を部屋に迎え入れた。


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