おぼえていますか?
あれはもう20年以上前のこと。
夜、仕事を終えた僕は駅前のホカホカ弁当で唐揚げ弁当を買い、横断歩道を渡ろうとしたその時、向こうからバイクが猛スピードで突っ込んで来た。
僕はとっさに避けようとしたが楽器とホカ弁で両手は塞がっており、バランスを崩しその場に倒れてしまった。バイクも何かを轢いたようで倒れかけたが、体勢を立て直すとそのまま走り去って行った。
「畜生!」
しかし今はそれどころではない。
ひょっとしてコレはバイクに轢かれたんじゃないのか?
ここは暗くてわからない。とりあえず家に帰ってからだ。
大丈夫だろうか?…家に帰って祈るような気持ちで開けて見たが、
「ああ、良かった!」
果たして唐揚げ弁当は無事であった。
しかしこの唐揚げ弁当、ホカ弁当には実に色々な種類の弁当があるが、何と言ってもコレに限る。よく「安定の〜」とか言うが、まさにソレ。おそらく値段も今と変わらないのではないだろうか。
とにかく今でも僕はホカ弁と言えば唐揚げ弁当だ。
さて、唐揚げ弁当を平らげ、いや待てよ、コレが無事ということは…
いささか諦めに近い気持ちでケースを開けてみると…
楽器は僕の方にその体を曲げていた。あたかも「ゴメンナサイ」と言っているかのように。
僕は己の卑しさを恥じ入るとともに途方に暮れた。
当時僕はアメリカから帰って来たばかりで大阪の実家に身を寄せていた。第一次湾岸戦争と共にいわゆるバブルは弾けていたが、その前に仕込んだと思しき仕事が多数あり、明日からはブルーノート大阪で一週間。
結局、その頃音楽面でも仕事面でも大変お世話になっていた関西ジャズ界の大御所、古谷充さんに相談したところ、「うちの息子のテナーがあるのでそれを使いなさい」との有難いお言葉。
古谷さんの御子息の光広君は当時高校生だったが、やはり一週間も彼から楽器を奪うのは心が痛む。「全然構いません、実は最近あまり吹いていないんです。どうぞ使って下さい」と彼は快く楽器を貸してくれた。
古谷さん御一家のお陰で無事一週間の仕事を終え、僕は楽器を返す時にほんのささやかな御礼として、彼にボブ・ミンツァーのCDを差し上げた。確か"The Art of Bigband"だっただろうか…
僕はそのすぐ後、東京に出て来て、長い長い貧乏暮しが始まる。
こちらに出て来てからも何かと古谷さんには面倒を見て頂いたが、ここ10年以上は不義理が続いている。申し訳ない気持ちでいっぱいだ。しかし光広君は大阪でバリバリ活躍している、という話を東京でもよく耳にするのが僕にとってせめてもの救いだった。
そして先日、あるクローズドなイベントの仕事で大阪に来たのだが、何と言っても僕が楽しみにしていたのが光広君との共演。
この日に限って彼はバリトンでの参加だったが、実に素晴らしいプレーでバンドを支えていた。
そして演奏を終え、帰りがけに彼が声を掛けてこう言った。
「覚えていますか?昔、三木さんがミンツァーのCD をプレゼントしてくれたことを。実はあの頃、僕はもう楽器をやめてコンピューターミュージックの方に進もうと思っていたんです。でも三木さんにもらったあのCDを聴いて、もう一度テナーをやろうと決心したんです。そしていつかこの事を三木さんに会ってお伝えしたかった。今日、それが出来てうれしいです。」
有り難う、光広君。