スカラーシップ

ここ20年くらい、僕の周りの若手に音大卒あるいは留学帰国者がかなり多くなった。そして昔キャバレーなどがあった時代のいわゆる叩き上げミュージシャンはめっきり見なくってしまった。
とはいうものの、音大にジャズ科が設置される以前からジャズミュージシャンといえば慶應、早稲田、明治といった名門私立大の卒業生がかなりの割合を占めていた。早稲田のビッグバンドは「ハイソサエティー オーケストラ」と名乗っているけど、確かにジャズという音楽はそれなりに「ハイソサエティー」な社会階層によって演奏され、楽しまれている部分もあるのだろう。
では「ジャズミュージシャンになるのは、いわゆる金持ちのボンボンなのか?」

かくいう自分も私立大を卒業した後、バークリーに留学している。当時のバークリーは1セメスターの学費が2700ドル程度と今の学費とは比較にならないほど安かった上にスカラーシップという名の割引があり、僕は半額の学費で卒業できた。
とはいうもの、大学の学費を含めそれらの費用は親が出してくれた。

一介のサラリーマンであった父の年収がどれくらいだったのか、今となっては知る由もない。
生活自体は「ハイソサエティー」からは程遠い極めて質素なものだったけど、子供4人を大学まで通わせたのだからある程度の経済力はあったのだろう。子供の頃はわからなかったけど実家を離れてからたまに帰ると、そこがそこそこ高級住宅地なのだということも知った。
これら大学に通い卒業後に留学するということなど、親の経済的サポートなしでは想像すらできなかっただろう。

しかし、それをやってのける者もいる。

僕の教えている尚美学園大学の卒業生、アルトサックスの 及川 陽菜はその数少ない一人だ。

彼女に初めて会ったのはまだ彼女が高校生で、確か同じアルトサックスの中島朱葉さんが、僕がホストを務める高田馬場コットンクラブのジャムセッションに連れてきたと記憶している。高校卒業後の進路として尚美を考えていることなどを話していた。

次の春、及川は全額特待生として入学した。当時、尚美学園大学はかなり積極的に特待生を受け入れており、ジャズ科の優秀な学生も何らかの特待を受けているものが多く、全額特待生はサックスでは 鹿野亮介に続いて2人目。

大学ではもちろん彼女は飛び抜けた存在で、それが故に周囲との軋轢もいろいろあったと思う。またその年代にありがちな精神的な不安定さもあっただろう。一時は休退学の相談も受けた。
やがて彼女は「今いるところが自分の実力」ということに気づき、大学の中での居場所を見つけるようになった。ジャズサークルの長を務め、学園祭の運営にも関わるようになった。
大学主催の英語スピーチコンテストに出場したり、学内企画コンペに応募し関西、九州へのツアーの費用を捻出したりもした。
後輩たちを大勢引き連れて彼女のバイト先のジャズクラブに僕の演奏を聴きに来てくれたこともある。

そして卒業後の渡米を見据えて国や民間の留学支援奨学金の情報を集めては応募した。僕はその度、小論文の添削をし推薦状を書いた。
ある民間団体の奨学金審査での英語スピーチで、彼女は途中で訳が分からなくなってしまい、最後に”I’ll do my best!”と叫んだところ、審査員は「君はいつもそういう感じなのかね?」と呆れたようだったという。
不合格を覚悟していたところTOEFLのスコアアップを条件に合格。
ついに留学に十分な費用を確保し、めでたくニューヨークのクイーンズカレッジへの入学が決まった。このコロナ禍のため入学が一年先延ばしになってしまったが、先日晴れてニューヨークに旅立ち、入学した。

つまり彼女は親御さんに経済的負担をかけることなく大学から留学まで全て自分で賄うことに成功したのだ。
これって凄いことだと思う。実に夢のある話だ。
彼女の小論文の添削や推薦状を書いたのはもちろん彼女のためでもあるけど、僕自身これらの仕組みを知っておきたかったからだ。

及川はニューヨークの大学生活で精一杯吸収するとともに、留学にあたってのこれら一連のスキームを今後の若者の為に是非役立ててもらいたい。
おめでとう。

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