101回目の成功
昔、西武池袋線の江古田に住んでいた。
ここは「地方出身のミュージシャンが必ず一度は住む街」と言われ、今でも多くのミュージシャンが住んでいる。僕も約14年ほどこの街にお世話になった。
山手線のターミナル駅である池袋まで3駅と近く、その割りには家賃等の物価が安いという事もあるが、何と言っても武蔵野音大、日大芸術学部があるため「音出し可」のアパート物件が多くある、というのがその一番の理由だ。
大きな音をともなう練習が必要なミュージシャンにとって、練習場所の確保は非常に切実な問題である。
特にサックスなどは一般の住宅ではまず無理なので、選択肢としては公園、河原、高速道路の下などが考えられる。かつての代々木公園はサックス吹きの「聖地」であったが、いわゆる「イカ天」以降、原則として音出しは難しい状況となっている。
他にも、これらの場所は基本的に野外なのでトラブルも多く、また冬は寒い。
その点、音大の周辺にある賃貸は「ピアノ可」「楽器可」という物件が数多くあり、新学期というタイミングであれば色々な条件で選ぶことが出来る。学生向けということもあり、家賃もそれほど高くはない。
しかし「音出し可」といっても防音が施されている物件は少なく、大抵は普通の賃貸であるが、音を出す者同士「お互い様」というものが多い。音を出して良い時間帯は午前9時から午後9時までというものが一般的だった。
たまに完全防音で24時間音出し可というのもあったが、聞くところによれば、いつでも出来るとなるとかえって練習しなくなるとのこと。
そう言えば僕が住んでいたビルの隣の部屋のピアニストは決まって夜8時半を過ぎた頃に練習を始めた。気持ちはとても良くわかる。
演奏技術の向上を目指しての練習も、往々にして自己の精神安定のためにすることが多い。
この程度やったところでどうなるものでもないのだろうが、今日一日が終わってしまう前に少しでも楽器に触っておこう、という気持ちは今なお持っている。
そして何日も練習をしない日が続くと罪悪感を感じてしまう。
ただ最近は練習をしていて「あぁ、この状態で吹き続けても多分何にもならないだろうな」というのも解ってきた。
昔は「9時になるまで」とか「12キーが終わるまで」とか「10回連続成功するまで」とかやっていたものだが、最近は「休憩の取り方」が本当に大事だなと思う。
練習をしていて上手く行かない時などついカッカして、何とかコイツをねじ伏せてやろうとか、今日こそは目にもの見せてやろう、としてしまう。下唇にはザックリと歯型が付き、楽器を支える親指は痺れている。
まぁ、これも昔は「あぁ、今日は実によく練習した」という一つの精神安定にはなったと思う。
しかし、特に生徒を教えるようになって「出来なかった事が出来るようになる瞬間」というものを目の当たりにする機会が増え、それにともない自分の練習も見直すようになった。
カッカと頭に血が昇って、シャカリキに練習をする生徒は必ず同じ所でつまずいているにもかかわらず、目を瞑って何度も何度も繰り返そうとする。
100回失敗して101回目に成功したとしても、100回の「悪しき習慣」が身に付いている訳だから、それを打ち消すには更に100回の成功が必要となる。
必要なのは試行錯誤ではなく、成功体験の蓄積だ。
いや、それ以前になぜ100回も失敗し続けるのかに気が付くべきだ。
そして何かが出来るようになるのは、そういった一種の「自己洗脳」が解かれた瞬間だ。
この事を僕は多くの生徒から学んだ。
練習の多くは頭の司令を体に伝達する回路を創るものであり、この「司令」はメンタル、「伝達」はメンタルとフィジカルをつなぐもの。そしてフィジカルなものも、その殆どが如何にして無駄な力を抜くかということが問題になる。上手く行かない場合の殆どは何かが「欠けている」のではなく、それを妨げる別の力が「加わっている」のだ。
休憩は時としてこの「加わった」ものを上手く取り除いてくれる。
あれ程やって上手く出来なかったものがちょっと休憩したらスルスルと出来るようになったりもする。
それはホンの数分の場合もあるし数日の場合もある。
人間の頭のというのは、僕のこの粗末なものでさえ、実に面白い。
これからはコイツをねじ伏せるのではなく、揉みほぐして行きたものだ。