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他者への興味によって触発される行為と、それらがもたらす自己変容や社会との接合について

芸大院での1年間の振り返りと今後の展望

 私自身、今期の活動としてペイントを介したコミュニケーションや、贈与することを軸としたプロジェクト型アート活動を中心に行ってきました。   
 活動を行う中で、それらに含まれる重要なエッセンスに、”協働するということ”があり、そしてその根底には”他者への興味”があるのではないかと考えました。

 現代のアートシーンにおいても”他者と関わること”や”誰かと協同し社会と関与していく”ということが非常に重要な要素の一つとなっています。 
 1990年以降、ソーシャリーエンゲイジドアートという概念が生まれ、日本でも1980年前半から、プロジェクト型のアート活動が増加しています。
 より問題が複雑化していく社会の中で、協働で作品を作っていくコレクティブや、コミュニティをベースにした活動は今後より一層増えていくだろうと考えられる中で、自分自身をアップデートさせながらそれらに複合的に関わっていくことが重要だと、私自身も考えます。


 ではまず、誰かと協同し社会と関与していくとはどのようなものなのか、院での講義で得た知見を元に考察しました。(講義の内容の詳細についてはここでは省略します。)それぞれの作家により活動の方向性の違いはあるものの、特に重要な点においては、まず、無理矢理社会と関わろう!ではなく、時間をかけて自然とその場にいる他者やその土地との関係性がうまれていくということを大事にできるかどうか、そして、自身のテーマに対して切迫感を持っているのかどうかということです。

 この知見をもとに、今期は以下の活動を行いました。ガラスの内側と外側で参加者と企画者が同時にペイントを介してコミュニケーションをする「コミュニケーションペイント」また、それらを他の地域や遠隔で行う活動、そして、参加者同士が得意な表現を交換したり贈ったりする「トキドキオクル商店街」などです。

 これらの活動によって、その場所によって人の雰囲気や描く絵、会話の種類が異なることが興味深く、その土地や町はそこにいる人によって構成されているのだなという気づきがありました。特に重要なこととしては、他者と協同して活動する中では、より感覚的な部分で他者の視点・感じ方が自分に備わっていくような、自己変容の過程が含まれているということです。

 また、今回「贈り物を贈ろう」というメッセージが持つ暴力性と向き合うことになりました。贈与という要素を自分なりに捉え直していく中で、過去に自身が故郷熊本で体験した被災にヒントがあることが分かりました。

 現在は、物理的に接触することへのリスクが問題視されている時代でありますが、人々は、そのような状況下で、オンラインをはじめとする物理的に非接触での新たな触れ方を模索してきました。

 誰かに触れたい、近づきたい、精神的につながっていたいという欲求は、その程度はそれぞれであれども、人間のより本質的な欲求なのではないだろうか。 と私は考えています。

限定公開中 https://www.youtube.com/watch?v=-kuJSSnfYNQ

 この作品は、12月に行った《過去を触る》という映像作品です。震災の記憶を映し出す写真を含めた、過去に撮った写真やインターネットで検索する中で出てきた熊本で起こっていた災害に関連する写真を、白い絵の具がついた手で触っていくという映像です。
 その映像にはには、触りたいもの、どう触っていいか分からないもの、自分の中で生まれた戸惑いも含めて映し出されています。

 これらの実験を踏まえて、修了制作ではこの4つの問いへの応答という形を取りたいと考えています。

・人はどのような時に、物理的または精神的に他者に触れたいと感じるのか

・触れたいと感じた時、どのような身体の動きをするのだろうか

・それらの動きはどのように自己を変容させるのか

・「他者に触れる」という行為と社会に関与することはどのように関係しているのだろうか

という問いです。

 具体的には、他者との触れ合いの軌跡が作る構造物のようなものを構想中です。(ここの詳細はまだ内緒)

 最後に今後のプランについて。実は来年4月からメキシコ・中南米への留学を予定しております。(もちろん状況を見つつ、、、、なんですが。)
 そちらでのリサーチも重ねつつ、他者への興味によって突き動かされる”触れる”という行為と、それらの軌跡を再構築し建築物・空間を作っていく中で、それらがもたらす自己の変容や社会との接合について模索していきたいと考えています。


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