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帰国後1ヶ月。こぼれていく記憶の中にある、鮮やかな断片

帰国後の1ヶ月間

エクアドル、メキシコへの10ヶ月間の冒険を経て、2月に帰国してから1ヶ月以上が過ぎた。
ここでは、帰国後1ヶ月間の思いや、ふと思い出されたエクアドルでの記憶の一部を書く。

ここ1ヶ月は、久しぶりに会う知人から「留学どうだった?」と聞かれることも多かった。
相手からのフィードバックをもらえることはとてもありがたいと思うのと同時に、話をさせてもらうことを通して、記憶の中にある様々な体験にまた触れることができるのが、とっても嬉しく感じた。

私の大事な一部

10ヶ月間、本当に色んなことがあった。帰国後は、環境の違いに驚き、全部夢だったかのような感覚に陥ることもあった。
しかし、それらの過去の私と現在の私が乖離しているような感覚は、記憶に触れ、それらを言葉や他の何かとして表現をすることを通して、縫合されていっているようにも思う。

私の向こう見ずな冒険スタイルによって、たくさんの大切な人に心配をかけてしまっていたことに改めて気づいたり、身近な人との意見の衝突にショックを受けたりしたことも含めて、正直、ちょっと落ち込むこともあった。

色んな思いも巡らせたが、やっぱり、10ヶ月間のラテンアメリカでの体験は最高だったと断言できる。
あの場所で経験した、感じた全てのことは、もう、誰にも奪うことはできない、私の大事な一部である。
そう思えた時、私は過去から今の自分をまるっと肯定できた。
私の中の記憶は、これからも、ずっと私の背中を押し続けてくれるだろう。

思い出した風景

今住んでいる埼玉のお家の部屋の窓からは、川が見える。散歩をしている人も多く、見るだけでなんだか穏やかな気持ちになる、この家が好きだ。
そんな景色を見ながら、ふと留学中に見たエクアドルの風景を思い出して、描きたくなった。

私は2022年4ー6月の3ヶ月をエクアドルで過ごした。これは、後半の1ヶ月半を過ごさせていただいた、エクアドルの6人家族の家の屋上に広がる風景の一部をクーピーで描いたもの。

私は、時間がある時はいつも一人、またはその家の家族の誰かと、この屋上に来ては、ゆっくり景色を眺めた。時には、彼らが飼っていた犬のボニーと猫のニーナが遊びに来ることもあった。屋上からの景色はとても美しく、豊かさには色んな種類があるのだと感じていた。

その家族の母が、入居初めに「Aquí es libre(ここは自由だからね〜)」と言っていたのを思い出す。
屋上へ続く扉を開けた瞬間広がる、空の鮮やかな青さに驚き、原色ってこの色のことなのかな、などと素直に驚いたことも、懐かしく思う。
この景色は日によって色んな顔を見せた。
デモが激しくなっていた時期には、爆弾によって上がった煙やその爆発音を運んでくることもあった。あれは、とても難しい時期だった。
夜は、星空とたくさんの道の暖色の灯りよりきらきら輝いていた。


ある日のこと

ちょっとしたことをきっかけに、家の中で涙が溢れてしまった時の後のことについても鮮明に覚えている。
その日、泣いてしまった私を見た家族の姉妹たちは、強引に屋上へ連れて行き、一緒に時間を過ごした。
屋上では、ある程度落ち着いてから「あなたがもう少しでここを離れることが恋しく思う。あなたは私たちの姉妹だと思っているよ」と優しい言葉をかけてもらったことでまた泣いてしまい、「今日のあなたは繊細だね〜」と姉妹たちに笑われてしまったりもした。

そういえば、エクアドルでも、メキシコでも、私が泣いてしまった時
友人たちは、わたしをそっとしておくことを拒み、元気になるまでずっと一緒にいてくれた。

私は留学前に日本で暮らしていたときは、人前では笑顔の自分でいたい!と、泣きたい日は一人でそっと泣くことが多かったので、
初めは、ネガティブな感情を抱えている私の近くに、他者がいるということにあまり慣れず、なんとなく居心地が悪かったが、彼女らのおかげでいつの間にか私はすぐに元気になっていた。

悲しんでいそうな友人がいたら、意地でも放って置けない
決して孤独にしない。そんな独特で愛のこもった関わり方は、ラテンアメリカの人たちの特徴でもあるのかななんて思った。
また、自分にとっては、悲しい時に、誰かにもたれかかることが出来た体験でもあったようにも思う。

何気ない出来事の一つだけれど、
今も地球の裏で、その光景が広がっているのか、と思うだけで、
純粋に嬉しく思い、元気をもらえる、私の記憶の断片、私の大切な一部。

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