ショートショート15 連続性を千切る
書きたいことはたくさんあって、でも書いて外部に排出しないと内部から腐ってしまうことは今はない状態にある。もしかしたらこれは一種の安寧とラベルを貼ることはできるかもしれないが、何かに対して明瞭さを持っているわけではないので、バラバラのジグゾーパズルみたいに、一部分だけ繋がっていて、全体像は見えない。だからこそ今日は少しだけ長めに並べたい。前提条件、こう思うけれど、こうかもしれない。そんな思考をしている。そしてたまに倒置法。意味はない。
(そもそも、思考を含む全ての事象において、全体の一部を切り取っているだけで、わざわざその部分だけを指して意味はない、と切り分けることすらナンセンスではある。)
今日は何を書こうかなと思ったときに、そういえば自分が書きたいのではなく、他者から貰いたい言葉があったなとふと思う。
「しんどくなったら俺に言えよ」
それは昔観たドラマで香取慎吾さんが上野樹里さんに公園か河原かどこかそこら辺で、そんな台詞を言うシーンがあって、なぜかとても耳に残った。たぶんわたしはその時学生で、たぶんというかほぼ確実に学生だったわけなんだけど、仕事を頑張って一生懸命生きている人にはこんな肯定の言葉がかけてもらえる世界なんだ、ここは。と思った記憶が蘇る。
そもそも毎秒毎に価値を提供できるはずなんてないのだけれど、その瞬間、価値を提供していなくても肯定されたい、と傲慢にも思ってしまったものだ。
いつもよりちょっとだけ空を飛ぶ、もしくは階段を上がって周りを眺めてみると、自分にもそういった言葉をかけてくれる人が幾らかいて、自分の暗さですら興味深いと肯定してくれる人もいるんだ、と今更ながら気が付く。
これは意図的に気が付かないようにしていたわけではなく、ただ視野が狭くなっていたんだと思う。
そんな人たちに対して自分が提供できるものってなんだろう。自分では自分を肯定できない代わりに、わたしを肯定してくれる人に対して、わたしは何をすれば役に立てるんだろう。と思って、結局何かしらの価値を提供できていると自覚できないと安心できないのかもしれない、と思い、今日も思考の渦に呑み込まれる。
そういえば、こないだ友だちになった占い師でセラピストなおにいさんが、「きみはひとりでいると思考にハマるから、こうして人と話し合うことで新たな自分を発見できる、そしてそれを楽しいと思っている」って言われたな。ニュアンスはそんな感じだったんだけど、ぜんぜん原文ママじゃないな。
今日は、深夜25時に食べる松屋の牛丼が心の底から美味しいと思えるそんなメンタルで、なけなしの脳内をフル稼働して、話すのが遅い日だった。寝ることで連続性を千切るわけで、今日こそは早いとこ1日を終わらせてしまおうと思っていたのに、それはいつ達成できるんだろう。