ショートショート②ぬるくなったアイスコーヒー(2020/07/18)
仕事帰りに喫茶店に行って、ぬるくなってゆくアイスコーヒーをだらだらと飲む。実はその時間が至福だったりする。
なんというか、コップにくっついている結露を見ていると、拭き取られるだけの存在と心を通わせられる気がしてくる。いや、もはや拭き取られさえされず、洗われるかもしれない。
でもそれならこの結露は、なんのために生まれてきたんだろう。冷えたアイスコーヒーが常温の場所にいる代償として涙を流しているのだろうか。
そんなことを考えると口に含んだアイスコーヒーの苦味が増す。
すでに口に含んだアイスコーヒーはこんなにも苦く感じるのに、これから飲むであろうアイスコーヒーは溶けた氷と混ざって、どんどん薄くなっていく。なんだかその反比例がとても怖い出来事のように思えて、使っていなかったガムシロップを全部入れた。
自分にもまだ、苦いものを甘くできる力が残っているんだなと思うと、氷とガムシロップで薄まったアイスコーヒーはぬるくて甘ったるくて、安心する。
本当は24,25歳くらいになったら喫茶店じゃなく、行きつけのバーで時間を忘れるのが夢だった。夢だった、と過去形にしてみたけれどまだ私は24歳になっていないし、実現可能であるかもしれないが、別に夢であるけれど叶わなくていいのだ。ただ自己陶酔して、夢と現実が乖離している方がいい。まだ自分がこの世に思い残すことがたくさんあることで、明日が輪郭を帯びるから。
それに、バー以外にもやりたいことはたくさんある。それらを紙に羅列して、もう一度安心する。スウェーデンに行く。ウズベキスタンに行く。カフェでバイトする。中村さんと友だちになる。占い師になる。友だちのバンドの歌詞を書く。文章上手くなる。
うん。大丈夫、私にはやるべきことがたくさんある。
だけど本当は、世の中に「やらなきゃいけない」「やるべき」ことも一つもない。それを分かった上で言葉に消費期限を付けて自分を縛ってなんとか生きてるんだ。今日もこんなにやることがあって、明日もやることがあって、そんな恵まれた環境にいればいつ退場しても絶対的自己満足の中に埋もれられる。そうやって時間に追われてる。
そうして時間をやり過ごしたと思ったら、今度はやることに追われすぎて身体と心が悲鳴を上げる。その繰り返しの毎日。だから自分の人生から他者の人生に逃げ込む。そうして言葉と時間から解放されてやっと顔をあげることができる。
でも今日は、私の現実逃避の手助けをしてくれる本が次のページで教えてくれたのは主人公の死だった。
悲しくてやるせなくて、彼を死なせてしまう世界を憎んだ。でも彼が死んてしまって価値が減った世界だからこそ生きていけると思った。
少しして視線を戻すとアイスコーヒーは涙でぐしゃぐしゃになっていた。