子(ねずみ)の婿入り
___空を押し上げて手を伸ばす。
分厚い雲で覆われた灰色の空から、雨水が容赦なく降り注ぐ。その感触を手で確かめると、夢ではないことに落胆してため息をついた。
雨は昔からどうも苦手だ。
鼻につくような土の匂い、泥が跳ねる足元、うねりを増す髪、気まぐれに起こる偏頭痛……不快な要素ばかりが頭に浮かび、そのどれもが私を憂鬱にさせる。そんなときはいつもなら家にこもってやり過ごせばいいのだが、生憎今日はそういうわけにはいかない。
重力に負けそうになる体を無理やり起こすと、鬱々とした気分を心の奥底に沈めて家を出た。最初は小雨だったのに、目的地に向かうにつれてどんどん雨足が強まっていく。本当なら雨粒がましになるまで一休みしたいところだが、今はそんな悠長なことを言ってる場合じゃない。足元で跳ねる泥に気づかないふりをして、傘を差す人の合間を縫いながら目的地に一秒でも早く辿り着きたくて小走りした。
鳥居の先の門前では、予定より少し早めに支度を終えた新郎新婦の記念撮影が始まっていた。紋付袴と白無垢……見慣れないお互いの姿に、見つめ合っては頬を赤く染める二人。そんな恥ずかしそうにはにかんだ初々しい様子は、見ているこちらがときめくほどの美しさを感じた。
写真を撮られているにも関わらず、まるで二人だけの世界にいるような雰囲気が伝わってくる。そんな愛らしい二人の前では、降りしきる大粒の雨も魔法にかけられたかのように、大人しく風情ある景色と化していた。結婚式で幸せのお裾分けをしてもらえた気分になれるのは、どうやら悪天候も関係ないらしい。
両家の親達に混ざってシャッターチャンスに夢中になるうちに、家を出る前に抱えていた憂鬱な気分は、いつの間にか降り注ぐ雨に紛れてどこかに洗い流されていった。
「雨の日の結婚式って、これから生涯かけて流す涙を神様が洗い流してくれるらしいよ。だから今日はとても縁起が良い日だね!」
何事も前向きに捉える母はいつも通りだが、その言い伝えはもしかしたら本当なのかもしれない。
「雨の日も悪くないな……」
不思議だけど、生まれて初めてそう思えた。
そうして悪天候をも味方につけたような神前式は、止むことの無い雨音とともに、静かに……けれど何一つ心配することなく順調にとり行われた。
式の最後の家族写真の時間、新郎の立派な佇まいを間近に感じて、彼がまたひとつ大人になったことに気づかされる。その凛々しさは、きっと特別な衣装の効果だけではないのだろう。愛する人のため、この先の苦楽を彼女と共にしようという確固たる意志が、その背中を通してひしひしと伝わってくる。
彼はもう一方的に世話を焼かれていた頃の、守られてばかりの子供ではない。自分の足で力強く地を踏みしめられる一人の男になったのだ。その上自ら率先して、道路側を歩いたり重い荷物を持ったり……実家にいた頃は家事もろくにしてこなかったダメ男が、今では紳士な振る舞いを見せれるようにまでなっている。
彼をそういう風に成長させてくれたのは、他でもない彼女のおかげなのは言うまでもない。
帰る支度をすませて外に出ると、それまでの悪天候が嘘だったかのように太陽が顔を出している。
結婚式が名残惜しいのか、まだ少し日照り雨が続いている。だけど朝のどんよりとした雲は一掃され、そのうち虹が架かりそうな予感をさせる清々しい空が広がっていた。
「きつねの嫁入り……じゃなくて今日は子(ねずみ)の婿入りかな」
主役二人の着替えを待つ間、子年の彼にちょうど良さそうな言葉を思いついて、一人空に向かって微笑んだ。きっと彼は、尻に敷かれるくらいがちょうどいい。そうじゃなくても、彼女と一緒なら何も心配することはないだろう。
言葉では何とも言い表し難いけれど、少しの寂しさとそれを上回る大きな安堵と感慨深さで胸がいっぱいだった。
鳥居の先で来た道に向かって一礼し終えると、参列者で新郎新婦を見送ることにした。その頃には、もう傘も必要なくなっていた。
手を繋いだ仲睦まじい二人の姿が徐々に遠のいていく。そんな微笑ましい新婚夫婦の背中を、温かい眼差しで見送った。
___君と好きな人が百年続きますように。
昔からカメラを向けられることに慣れておらず、ぎこちない笑顔が並ぶ写真が、私達が姉弟であることを物語る。
普段縁のない場所で、ただ神前式マジックにかかっただけかもしれない。けれどどこで誰と過ごすかで、案外天気の印象なんて変わってしまうものなのかもしれないと初めて実感した。
雨もそんなに悪くないと今なら言える気がした。
一青窈さんの「ハナミズキ」が好きで、いつかこんなお話が書けたらいいなと思って載せました。家族の結婚は、友人とはまた違う想いがあるけれど、言葉にするのに苦戦しました。ですが、何より二人の幸せを願う気持ちが伝わればいいなと思います。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。