失うこと。再び得る為もがくこと。諦めず続けること。
私は、普段、さものらりくらりと子育てしてきたように振舞ってる。
大雑把でガサツだから、子育ても自由気ままに1人でこなしてきたようなフリをしている。
確かに、ガサツで大雑把だから乗り越えられてきた所も多々あるだろう。
今から書くことは、余り語りなくなかったことです。
それは、所謂トラウマで、私に取って思い出しなくないことなので蓋をして生きていたことを語ろうかと。
でもあれから22年が経ち
私なりに消化出来つつありそうなので
ここで語って見ようかという気になりました。
私は子が0歳で離婚し1人で育ててきました。
ですが、実は息子を1度手放したことがあるのです。
それは計画的なことではなく、
意に介さず結果的にそうなってしまった。
私は冬に子を産み夏には離婚してました。
それは若い父親が父親になったことを受け入れられずメンタルを病み、引きこもりになってしまい
私もまた、その事を受け入れられず、ならば1人で育てると家を出たのでありました。
当初は絶対1人で育ててやる!
と気持ちも張っていて様々な出来事も1人でこなしていけてました。
皆が通る朝から晩までオムツにミルク、食事、泣けばあやし、遊び相手をし…
その頃の私は家族連れを見るのを避けてました。
なんで皆、父親がいるのに私には頼ったり、たわいない子育てに関するおしゃべりしたり、様々なことを共有出来るパートナーがいないんだろうと。
見てるだけで胸が押し潰されるように苦しくなるので見ないようにしてました。
その冬、息子は1歳を迎えました。
その頃私は、静かに病んでいきました。
閑話休題ですが
私は子供を虐待死させるシングルマザーのニュースを見ると、可哀想、なら産むな!という世間の意見に同調出来ず
また、そんな自分が肩身が狭く恐ろしく思うことがあります。
静かに病んでいった私は、ある日
何をしても泣き止まない息子に手を上げてました。
泣かないでよ!
なんで泣き止まないのよ!
と、突き飛ばしていたのです。
火をつけたように泣く息子
辛うじて残ってた私の意識がハッとしました。
これはまずい。
私は、いま、頭がおかしいんだ。
とっさに、区役所から渡されてた育児ページを開きいのちの電話のような所に電話をしていました。
もちろん私も泣きじゃくってました。
苦しいんです…
電話口の人は私の虐待を一言も責めずとにかく息子さんと一緒にお越しくださいと言われました。
相談室のようなところでは、お母さん1番大変な時期に1人で引越しに、子育てよく頑張ってきたねと優しく言って下さいました。
ひとしきり話が終わったあと
じゃあ、息子さんを預かるね。
と別室に連れていかれました。
私はなんの事か把握できず
とにかく回らない頭で書類にサインをしました。
住んでいたのは江戸川区
その相談施設は江東区だったとおもいます。
その後息子が入れられたのは広尾にある乳児専門の所謂児童施設でした。
子を育てられない親が入れる例の施設です。
その施設の説明を受けた時も私はことの次第を把握しきれず、ただ綺麗な施設だなぁと、こんな綺麗なところで優しそうな保育士さんに囲まれ預かって貰えるのか…と安堵していました。
預けて数日してわかったこと。
息子の住民票は広尾の施設になりました。
つまり、私は息子を書類上捨てたことになっていたのです。
私は慌てました。
赤子を抱えてろくに就職活動が出来ていなかったので受けていた生活保護。
この状況を1秒でも早く脱せなくてはなりません。
気を緩ませるとすぐ涙が出ます。
でも泣いてる暇なんてありません。
幸い子供が横にいないので、就職活動に専念でき
面接担当者が、これから子供を手放すのでフルで働けると勘違いし潜り込めた印刷会社で働けることとなりました。
そこからは区役所に嘆願書を出し強引に保育園の席をゲット
息子を迎えにいきました。
その期間は1ヶ月。
そんな短期間で引取りにきたお母さんはいないよ、頑張ったね、本当に頑張ってね、とエールを受けました。
面会は実は1回しか行きませんでした。
私はまだ状況か把握しきれない時に気楽に面会へ行き、打ちのめされたことがあったのです。
というのも、1歳前後の赤ちゃんというのは普通はそんなに数日離れると親のことなど記憶にないのだそうです。
面会へ行った時、息子は保育士さんにご飯を食べさせてもらってました。
息子の名前を呼ぶと
息子は数秒私の顔を凝視しました。
明らかに様子がおかしいのです。
数秒凝視した後、火が付いたように狂ったように泣きました。
抱いても全く泣き止む様子はなく
私もただただ泣いてました。
息子のようにしゃくり泣くのではなく、とめどなく溢れる涙を垂れ流してました。
絶対離すもんか。
この子を私は離すもんか。
なので仕事も意地で見つけたのです。
今この文章を書きながらもとめどなく涙が溢れています。
私の人生で諦めたことは数え切れない程沢山あります。
諦めることが出来れば、例えば恋愛なんかそうです。
本当に解放され、気楽になれることの方が多いです。
けれど
私が絶対諦められなかったことは
息子の母親であるということでした。
それは理屈ではなく、本当に本能が
私を母親として、居させてくれた事なのです。
ママ!
と抱きつくあの柔らかい頬
私は子供を産んでなんとか0.5人前くらいの人生を歩めている、そう思います。
すみません
思い出して涙が止まらないのでこの辺で筆を止めます。
読んで頂きありがとうございました。