VenusPeter!略してビナペ。ビナペに恋し、渋谷系創成期を体感した頃の話し。
その日私達は、バンド好き仲間(女子のみ)で、温泉ツアーに行っていた。
件の音楽事務所で働くmちゃんが発起人となり、旅行代理店の人に苦笑されたが、確か1990旅行大計画?的な、フリッパーズの何かをパクったようなタイトルをつけて。
温泉の後、皆は千葉のマザー牧場へ行っていた。それは勿論、フリッパーズ・ギターのPVの撮影に使われていたから。
だが私はmちゃんにマザー牧場へ行かず、先に東京へ戻り、トラットリアナイト(仮名)に行こうと言われていた。
トラットリアナイトという名前だったかは、もうすっかり記憶にないのだが、今じゃ渋谷系の代名詞のようなカジヒデキさん率いるブリッジなど数バンド出るという、イベントだった。
好きが高じてフリッパーズ・ギターのファンジンまで作ってたmちゃんはフリッパーズのレコードディレクターの櫻木さんとまでコネクションを繋げており、多分その筋から情報を仕入れたんだろう。
うん!
行くいく!
私は2つ返事でイベントへ参加した。
ブリッジは、可愛らしいボーカルのバンドで、軽快なギターサウンドが素敵なバンドだった。残念ながらその他、何のバンドがいたのかはもう不明。そんな中、私とmちゃんのハートを鷲掴みにしたバンドが現れた!
まだ東京にマンチェスターブームというのが来る本当に本当に寸前の話しで、そこで奏でられるギターサウンド、唸るベース、そして気だるい沖野さんのボーカル。バンドなのに、踊れるサウンド…それがVenusPeterだった。
知る人は知っているが沖野さんは小山田君とバンドを組んでいた方だ。
でもそんな情報はぶっ飛ぶ位、とにかくフリッパーズとはまた別の側面から私のツボをグイグイ押してきた。
興奮さめやらず、見終わった後、mちゃんはアンケート書こう!と私に声をかけてくれた。
そのアンケート用紙には私の大好きなフランソワトリュフォーの大人はわかってくれないの写真が使われていた…
ねえ?mちゃん。
このバンド、すっごくやばいよ。
そこからアンケートきっかけで、mちゃんはバンドのリーダーである石田さんと親しくなった。
はっきり言って羨ましくて仕方なかった。
そしてついでに私も紹介してもらった。
そんなご縁で石田さんには、dictionary編集部員時代、原稿も書いて頂いた…し、そこから別のツテで知り合ったDJさんたち(Theやなぎはらさんなど)も石田さんと交流があったり、なんなら奥様のお笑いライブも見に行ったし、長きに渡ってお世話になっている。
話しが前後してしまったが、そもそも、dictionary編集部へ潜り込むきっかけとなった私の作品は、下北沢SHELTERで行われたヴィーナスペーターナイトの時の写真と、夜遊びする人たちを見て、何か感じた私の詩のようなものをレイアウトしたものだった。
こんなこともあった。
渋谷クラブクアトロでのヴィーナスペーターでのライブ。
この時も、ちゃんと前で見よう!と私達は前の方へ進んで行ったのだが、先程フロアで見かけたフリッパーズ・ギターの2人が私達の真後ろにいたんである。
もうそれだけで、私達は固まってしまったのだが、
ライブ中、石田さんがステージから写真を撮っていた。
勿論、我々もファインダーに入っている。
もしその写真が手元にあれば、若き日の小沢健二小山田圭吾両者と、映り込んでいるはずだ。
フリッパーズ・ギターは早々に解散してしまったが、VenusPeterは、最近再結成もされたり、CDもリリースされたりしている。
これも結構前の話しだが、下北沢CUE(だったと思うけど不明)でのライブは、まだ小さかった息子も連れて行った。
あの轟音は、小児にはハッキリ言って虐待だったかもしれない。
なので、私は、後ろの物販の辺りで見た。
今も勿論VenusPeterは聴く。
どれも素敵だが、私にはどうしてもあの頃の曲が切なく響く。
つまり、真城さんコーラスがGroovyなdo be free、イエローシャック、などなどなど…
先日、渋谷系を牽引したと言っても過言ではない元渋谷HMVのバイヤー太田さんがインタビューで、VenusPeterの下北沢SHELTERの事を触れてらした。
ここはマンチェスターか?と思われたらしい。
いや、本当にそうだったんです。
皆、酒を片手にユラユラユラユラ、ノリノリノリノリ…
私はイギリス系のバンドはちっとも詳しくないですが、有名どころは買いました。
なので今でもストーン・ローゼズやシャーラタンズを聞くとそんな夜の事を思い出します。
VenusPeter。
それは私を新しい世界へ導いてくれた紛れもないシーンを牽引したバンドなのでした。