笑顔に隠された熱い闘志 - S東京ベイ・押川敦治選手
第一印象は優しい笑顔、ファンから”神対応”と称される丁寧なファンサービスをし、チームのSNSでは他選手に絡む明るい一面を見せる。
まさに『絵に描いたような好青年』だ。
しかし、リーグワンの第一線で挑戦を続けているのだから、好青年なだけではいられないはずだ。そのギャップの真相が知りたくて取材を申し込んだ。
話をすると、笑顔の下の闘志を隠さないまっすぐな人だった。
1999年5月22日 大阪府豊中市生まれ。
ラグビーを始めたのは5歳、ラグビーを始めたきっかけは「じっとしていられない性格で」と話す。
「動いて何かしないと気が済まなくて、母親に何度も怒られるほど、いつも走り回っていたようです。それを聞いた母親の友達から、息子さんが通っていた豊中ラグビースクールに入れてみたらどうか?という話が来て、入ることになりました。両親は”じっとできないから、入れたらストレス発散できていいんじゃないか。”という軽い気持ちで入れたんじゃないかと思います。」
始めたころは、ボール持って走る楽しさはあったものの、当たるのは怖くて痛いから嫌だと思っていた。しかし、両親が熱心にサポートをしてくれることを子どもながらに感じ、辞めたいと言えないまま続けることとなった。
小学生の時は、ラグビー以外にもサッカー・バスケットボール・水泳・ピアノ・算盤・囲碁と習い事の多い多忙な毎日だったが楽しかった。中学に入ると、いくつかの習い事がなくなったが、部活では陸上競技を始めた。
「サッカーとラグビーを続けていたので、部活動でチームスポーツに入ると、試合が重なると迷惑をかけると思い、個人競技である陸上を選びました。練習は平日だけで、かつトレーニングになると思ったのも理由です。
メインでやった種目は投てき(砲丸投げ、円盤投げ)です。砲丸投げで豊中市1位、円盤投げで大阪府の7,8位くらいに入るくらいの成績でした。」
中学に入ってもサッカーとラグビーはクラブチームで続けていたが、中学3年生でラグビー1本に絞ることを決めた。
「ラグビーは、自分のチームがそこまで強くなかったこともあり、自分が活躍できたのが楽しかったし、コーチも仲間も良かった。ラグビーそのものもそうですが、置かれた環境が良くて自分が活躍できるのが良かったです。
サッカーも結構楽しかったですが、ラグビーをしてきたので、サッカーだとフィジカルで相手に勝てるんですよね。ディフェンスの最後尾で体を張るセンターバックをやっていました。リフティングとか相手を躱すドリブルとか、ラグビーにはない華やかな感じがあって、スキルを磨くのが楽しくて続けてました。
でも、サッカーは面白いけど、楽しさのピークは小学生の時で”遊びでやるサッカーの方が楽しいかも”と思い、僅差でラグビーを選びました。今振り返れば”ラグビー選んでよかった”と思います。」
高校は、自宅のある大阪府内ではなく、練習会で「ものすごく楽しそう」と感じた京都成章高校(以下、成章)を選んだ。
入部してみると、楽しい印象は変わらないが、練習はハードだった。
「成章はディフェンスのチーム。『ピラニアタックル』と呼ばれる低く刺さるタックルが伝統で、一番の強みでした。そう叩き込まれ、ひたすらタックルの練習しました。それが成章のプライドに繋がっています。タックルの練習が一番印象に残っています。
練習は想像以上に厳しくて、練習が終わって自宅まで1時間半かけて家に帰ると午後9時とか9時半。すごくハードでしたね。」
2、3年生の時に花園(全国高等学校ラグビーフットボール大会)に出場する。どちらも負けた試合が一番印象に残っている。
「2年生の時は(準々決勝の)東福岡と対戦しました。この年の東福岡は強くて一度も勝っていなかったのですが、花園では自分たちの全てを出しきって、負けたものの接戦でした。観客も多くて反響もすごかったです。その中で、自分たちの良い部分をしっかり出せた。全てが初めての経験で、武者震いがしました。
3年生はキャプテンでした。準々決勝の桐蔭学園戦で、相手は大学で同級生になる細木(東京サントリーサンゴリアス・細木康太郎選手)がいました。本当に同級生なのか?と思うくらい強かったのを覚えています。あと、コイントスで後半が風上になるように風下を取ったのですが、後半になったら逆風になったことで風下になり、かつ大量のヒョウが降ってきて、”嘘やろっ”と試合中に泣きそうになる中で、細木に3トライされました。完全に天に味方されませんでした。
どちらもすごく記憶に残っています。」
大学は帝京大学(以下、帝京)。
大学ラグビーで前人未到の9連覇を果たした超強豪校を選んだ。
「やるのなら極めたいというか、強いところでやりたい想いがあったので、大学でラグビーを続けるなら、強豪が多い関東がいいと思っていました。先輩から”厳しい中で、ラグビーだけじゃなくて人としても成長できる。”と聞いたので、帝京選びました。」
帝京大学の4年間は「あれだけラグビーに打ち込んで、あれだけ考えて、あれだけ厳しい生活をしたことは、もうこの先にもないんじゃないか思うほどの4年間だった」と話す。
その総決算が4年生の大学選手権だった。
入学前までの9連覇が途絶えて3年、優勝から遠ざかったままの最終学年では副将となった。対抗戦Aグループでは全勝し、大学選手権に進んだ。
大学選手権で、印象に残っているのは準決勝の京都産業大学(以下、京産大)戦だ。
「準決勝の京産大戦は、途中まで負けていた危ない試合でした。細木(キャプテン)不在で、一方で京産大は勢いがすごくて。自分たちのやりたいことがうまくいかず、”こんなはずじゃなかった”感がありました。試合の途中にはもう一人のCTBと”これ、ほんとに結構やばいな、なんとかせなあかんね。” と話をしていました。
後半になってキャプテンが入ってから巻き返して、最終的には逆転して勝ちました。キャプテンの存在が大きかった。
決勝の前に一発殴られた気分というか、目を覚まさせてくれた試合でした。」
京産大に辛勝したことで、帝京は「自分たちのラグビーをやり抜くこと」ともう一度気を引き締めて決勝戦に挑んだ。相手は同じく対抗戦Aグループの明治大学だった。
最初のトライは押川選手。ラインアウトからオーバースローされたボールに飛び込み、そのままトライを決めた。
「最初から思ったより自分たちの形にはまっていました。
(ラインアウトの)オーバーボールは戦術ではなくアクシデントでした。オーバーボールはラインアウトにはつきものなので、4年生の1年間ずっと準備をしていました。でも、ここまでの試合では一度もなかった。でも、決勝のその時だけオーバーボールがありました。この時も、ラインアウトの成功を期待しつつ、”オーバーボールはあるかもしれない”と思って準備をしていました。怠らずに準備をしてきてよかったと思います。」
「(優勝の瞬間は)本当に嬉しかったです。入学した時から連覇が途絶えて4年生まで一度も優勝がなく”こんなはずじゃなかった”と思っていましたし、4年生では絶対に優勝したいと掲げて、他のことは考えられないくらいの日々を副将として過ごしてきました。
決勝戦は、「勝てるなら、ここで終わってもいい。自分が死んでもいいから勝ちたい。腕がもげても足が折れてもいい。」というくらいの強い想いで挑みました。みんな同じ気持ちだったと思います。
部員が150人くらいいるので、4年生でも出場できない同級生もいて。みんなで優勝できて本当に嬉しかった。」
9連覇が途絶えて3年、そして優勝。
有終の美を飾った大学生活の一番の思い出を聞くと「全てが思い出で選べない。全てが濃い時間だった。」と語る。
エピソードの1つに、帝京大学ラグビー部の理念である『ダブルゴール』がある。”大学4年間のゴール”と”人生のゴール”の2つを持つことで、人間としての育成を目指すものだ。帝京大学ラグビー部にとって、それは形だけの理念ではなく、学生に徹底して考えさせ、行動に落とし込む。『ダブルゴール』 を考える過程が思考力の強化にもつながっている。
「例えば、4年間のゴールを”大学選手権優勝”として、人生のゴールを”幸せな家庭を築く”とします。ゴールを決めたら、それに対して何が必要なのかを考えます。"大学選手権優勝"なら、スキルはもちろん必要ですが、やり向く力や基本を徹底すること、手を抜かないこと、リーダーシップなどの要素があります。その中で”リーダーシップ”って何?それがあればいいのか、とか。全てに対して疑問をもって考えていく。
さらに大学4年間のゴールは人生のゴールにつながっているのか、他に必要なことはないか、具体的な行動は何かとさらに考える。
これをミーティングで学年バラバラの三人で会話をします。上級生が下級生の話を引き出して、まだ考えて… を4年間で何百時間やったかも変わらないほどミーティングして、自分でも考えて、を繰り返しました。」
「思考をする力を持ったことは今でも活きています。普段は漠然と考えてしまいそうなことも、一歩二歩踏み込んで考える思考を持てたことは良かったことで、それがまた『ダブルゴール』なんだと実感します。大学の4年間を4年間で終わらせないで、自分の人生のゴールにつなげるためにやっていたのだと分かります。」
磨かれた思考以上に、帝京で一番学んだことを『自律』だと話す。
「今、何が一番学んだことで活きてるんか考えたときに、一言で言うと『自律』かなと思います。
帝京には偉大な先輩が多くいて、活躍されています。活躍されている方って、自分を律して努力されている印象があって、自分たちも4年間自分を律してやってきた結果が優勝につながっています。
毎日の厳しい練習もそうですが、やるべきことをしっかりやり抜くことが磨かれたというか、自分を律して努力することを学びました。
それが、今でも活きていると思います。」
「ラグビーのことだけ考えていたら、帝京はここまで強くなっていないと思います。ラグビーを通じて、また学ぶツールとしてのラグビーは、いろんなことを教えてくれると思います。僕にとっては大学で学んだ一番が『自律』です。」
大学4年間で大きく成長した押川選手は、リーグワンで上昇中だったクボタスピアーズ船橋・東京ベイに入団、同時に株式会社クボタに入社する。チームを選んだ理由は、大学の選択と同じく『成長』だ。
「自分が一番成長できるチームに行きたくて、一番成長できると思ったのがスピアーズでした。ラグビー選手としてはもちろん、社会人としても成長するために、仕事もして社員選手としてしっかりやりたいというのがありました。
ずっとラグビーをやってきましたが、ラグビーが全てではないですし、長い人生でラグビー以外も必要になってくると思います。『ダブルゴール』 を達成するために成長をすることを考えたときに、スピアーズならラグビー+社会人として成長できると考えました。
スピアーズは、フラン監督を筆頭に良いコーチ陣が揃っていて、選手も立川理道さんを始めレベルの高いメンバーと一緒にラグビーをすることで、自分が成長できると思える環境です。それに加えてチームカラーも良くて、自分を出せる人間関係もいいです。」
2022-23シーズンの日本選手権優勝も経て、3シーズン目となった昨シーズンは出場機会になかなか恵まれなかった。4年目のシーズンが始まった今の目標を聞いた。
「『目の前のことを全力で一つ一つやっていきたい』というのが目標です。
試合に出て結果を出すっていうことも必要ですし、その結果を経て、何かその監督とかが周りからの評価をいただくっていうのも、もちろん大事だと思います。ただ、そこにフォーカスしすぎると、うまくいかないというのを感じています。それは昨シーズンの反省でもありますし、なんか自分ができることを精一杯がんばること、例えば怪我をしないでやり切ること、なおかつ、1個1個の練習もそうですし、練習試合でもそうですけど、やっぱそこに対して『自分のベストをもどうやって持ってこれるか』というところを今シーズンは頑張りたいと思っています。結果や周囲からの評価ばかりにフォーカスするのではなく、しっかり自分がコントロールできることに集中したいです。」