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仲間に囲まれる日々が原動力 - BL東京・小鍜治悠太選手

東芝ブレイブルーパス東京 小鍜治悠太選手。
木村選手、原田選手らとともに東芝の強力な一列目を形成し、NTTジャパンラグビーリーグワン2023-24シーズンの日本選手権優勝に大きく貢献した。

試合が終わると優しい笑顔を見せる小鍛治選手だが、ひとたび想いを聞くと熱が溢れる発言が飛び出す。彼のエネルギーはどこから来るのかを知りたくてインタビューを申し込んだ。
インタビューの中で一番印象に残ったコメントは『思い出が多いんです』。ラグビーの話以上に仲間との思い出の話が尽きない。大好きな仲間に囲まれた日々が小鍜治選手の原動力だった。
(取材日:2024年10月1日、10月29日)

ラグビーとの出会い

小鍜治選手がラグビーを始めたのは5歳の時。親同士が仲が良かった友人に勧められて堺ラグビースクールに入り、ラグビー人生がスタートした。彼はその頃を「最初は、みんなでボールに群がる団子状態のラグビーだった」と笑顔で振り返る。練習はきつかったが友達と遊ぶ感覚で楽しくラグビーを続けていた。

今では最前列で体を張るプロップの小鍜治選手だが、ラグビーを始めたときはバックスのプレーヤーだった。ポジションはセンターやスタンドオフが多く、スピードと体格を武器にフィールドを駆け回っていた。

「小学生の頃には既に体格が大きかったし太ってたんですけど、脚が早かったんです。谷口(現リコーブラックラムズ東京 谷口祐一郎選手)とチームメイトで、同じくバックスでした。二人でハーフ団やセンターを組むことが多かったです。二人とも大柄で足も速かったので”小学校低学年のワールドカップがあったら日本代表だったな”と振り返るほど強力でした。」

(左)谷口選手(右)とはラグビースクールからのチームメイト
(右)当時はバックスとして活躍、キックも得意だった

フォワードへの転向

進学した中学校にはラグビー部はなく、サッカー部に所属した。しかし、中学2年生の時に「毎日ラグビーをしたい」と、サッカーを辞めてラグビーに専念することを決断。隣の区にあった真住中学校のラグビー部の練習に参加することになった。平日は真住中学校、休日はラグビースクールでラグビー漬けの生活になった。
中学性になった彼のポジションはバックスからロックへと変わった。体格が大きく、フィジカルが強かった彼は、フォワードでの適性を発揮し始めた。バックスで培った俊敏さやスピードも健在であり、これが彼のプレーに幅を持たせることとなった。

中学卒業後の進路には、親の勧めもあり、真住中学校が良く練習に行っていた大阪産業大学附属高校を選んだ。朝早くから始まる練習、厳しい規律の中で磨かれることとなった。

「”今日もアレかぁ””朝早いなぁ辞めたいなぁ”という一時の想いはありましたが、悩んで辞めようとしたことはなかったですね。高校自体もみんなとやってて楽しくて、練習しんどくて厳しいけど楽しくてやってました。」

高校3年の春には、さらなる転機が訪れる。それまでロックとしてプレーしていた彼に対し、先生は ”今後も続けたいなら、プロップへ転向した方が良い” とアドバイスをした。この助言に従い、彼はプロップへの転向を決断する。これが、彼のラグビーキャリアにおいて大きな変化をもたらすことになった。この転向が成功し、現在に続くラグビープレーヤーとしての道を本格的に歩み始めた。

厳しさの中でも仲間と楽しんだ大阪産業大学付属高校ラグビー部

スクラムを磨き、一生の仲間と出会った大学生活

天理大学に進学した小鍜治選手にとって、この4年間は非常に充実した時期であり、彼のラグビー人生において大きな飛躍を遂げた時期でもあった。天理大学ラグビー部の厳しいスクラム練習は、彼のスキルを飛躍的に向上させた。「天理のスクラム練習は非常に厳しかった。時には顔に内出血ができるほど組み続けることもあった」と振り返る。

「スクラムの魅力は、8人全員で押したときの達成感。また、スクラムには自分にしかわからない駆け引きやコントロールがあり、それが成功すると非常に気持ちが良い。
 ”良かった”と感じるスクラムは、8人全員が完璧なタイミングで押して強いヒットになるスクラム。自分のテクニックだけじゃなくて、”8人全員で押せた”と感じます。」

厳しいスクラム練習の中で、スクラムの奥深さに目覚めていった。スクラムは彼にとって非常に重要な要素であり、彼のプレースタイルの核となった。

天理時代の思い出を聞くと、大学選手権優勝や勝利した数々の試合以上に「何気ない寮生活」だと語る。

「僕らの同期は特に仲が良くて。毎日、食堂で一番最後のやつが食べ終わるまで、食べ終わっても、ずっと同期が食堂に残っていて喋ってるんです。それ以外にも部屋に集まって、ゲームをしたり、ずっと話をしていました。」

「めっちゃ飲みました。それを僕らは『宴(うたげ)』って呼んでました。もちろん同期もですが、先輩や後輩、さらにコーチとも飲みました。のぶさん(元クボタスピアーズ船橋・東京ベイ 岡山仙治さん)との宴は”岡山海賊団”って名前が付いて、卒業後の後輩が知っているほどでした。」

卒業後も続く”岡山海賊団”

天理時代の同期はめっちゃ好き。今でも東京や大阪、各地で集まる。リーグワンの各チームに所属する選手も多く、試合後に両チームの天理大学メンバで記念撮影をする様子があちこちで見られるほど仲がいい。

大学の仲間は今も最高に仲がよい 卒業後に菅平にも

コロナ禍で知った仲間の大切さを力に大学日本一へ

天理大学ラグビー部が日本一に輝いたのは彼が4年生の2020-2021シーズンだ。夏の天理合宿(菅平合宿前の追い込み)で体が出来上がった状態になった矢先に、コロナ禍でのクラスター発生により、チーム全員が一時自宅に戻ってZoomで繋がり各自で練習を行う厳しい状況に陥った。「体重が落ち、筋肉量も減り、非常に苦しい時期だった。」と小鍛治選手は振り返る。しかし、キャプテンを中心にチーム全員が一丸となり、この逆境を乗り越えた。

クラスターからの回復後、再び全員での練習が再開された時、その喜びは非常に大きかったという。

「みんなで会えない時期を経験して、"みんなで練習ができることは当たり前じゃない"と、 その大切さを改めて実感していました。キャプテン筆頭に、厳しく同じ方向を向いて進んでいました。Aスコッド(レギュラーメンバー)とBスコッドがお互いに見合ったり、選手の中からコートやレフリーに転身して支えてくれた。コートや監督だけではなく、選手主体で練習やミーティングを行いました。
みんな素直なメンバーが多いから、”やると決めたことはやる”とまっすぐでした。4年生が中心で下のメンバーも一体になって取り組みました。」

その経験がチームの結束力をさらに強めた。そして、彼らは一試合一試合を戦い抜き、見事に日本一の栄冠を勝ち取ったのである。

「決勝戦だけじゃなくて、全ての試合が楽しかった。
 決勝戦が終わった帰りのバスの中でも”もっと試合がやりたいな”と話していました。まだまだ足りない、もっと一緒にラグビーをしたい気持ちでした。」

天理大学ではコロナ禍を越えて大学選手権優勝

東芝での挑戦と成長

天理大学を卒業し、2020年に東芝ブレイブルーパスへ加入した。
東芝の環境は、彼にとって天理大学と似た部分が多く、非常に馴染みやすいものだったという。「東芝にはファミリー感があり、オフの時間では冗談を言い合ったりしてリラックスできるが、練習では全員が厳しく真剣に一丸となって取り組んでいる」と彼は語る。この環境の中で、小鍛治選手はさらに成長を遂げている。

オンもオフも全力のチーム オフにはメンバーと一緒にライブに行った

東芝での練習は、天理大学以上に質を重視したものが特徴である。「スクラムでは、東芝ではよりディテールにこだわり、コーチからの課題をしっかりやりきって、質を高めることを大切にしている。」と彼は語る。特に、ベテラン選手やコーチからのアドバイスを受け、技術をさらに磨いている。

仲間への感謝

小鍛治選手自身3シーズン目となった2023-24シーズンは、シーズン前に腰と股関節を痛めてパフォーマンスを落としていたことで、前半の試合には出れない時期が続いた。その苦しい時期を支えてくれたのは、天理時代の同期と東芝のメンバーだった。その時期を『感謝』のキーワードで語った。

「一人でいると落ち込むこともあったが、天理や東芝の仲間に助けられました。みんなとどっか飲みに行ったり、クラブハウスに行ったら気持ちが変わりました。いつも通り(バカみたいに)接してくれたりしてくれたお陰です。特にこの期間一緒に飲んだり、一緒に出かけて綺麗な場所に行ったり新しい事を教えてくれて、愚痴を聞いてくれました。
立ち直ることができたのは、東芝の同期、後輩、先輩、コーチングスタッフ陣、OB、大学の友達、家族、皆んなが応援してくれたり励ましてくれたからこそです。感謝です。」

家族のようなチームメンバ

仲間の支えがあって、第5節以降徐々に出場し、日本選手権決勝では大学の決勝戦に続いて2回目の国立競技場に立った。先発出場だったが、後半11分に交代した。

「前半の後半くらいで肋軟骨を痛めました。”もうちょい行けます”とは言ったのですが、シンプルに痛かったです。ブレイクダウンに力が入りませんでした。でも、足を引っ張りたくなかった。
何とか前半を乗り切りって、ハーフタイムに照さん(リザーブのPR真壁照男選手)には”準備しといて”と伝えました。後半に相手の一列目が交代して最初のスクラムを組む前には、”痛かったらどうなるんだろう”と考えました。実際に組んだら力の向きが良かったのか、痛くなかったんですけど、ホントに怖かったです。」

痛みに耐える様子を敵にも観客にも見せることなく、決勝戦の51分間を戦った。そして、最後の勝利の喜びはベンチから仲間と見届けた。

日本代表への挑戦と未来への展望

小鍛治選手は、さらに高みを目指している。「自分のフィジカルが世界でどれだけ通用するのか試したい」と語る彼の視線は、日本代表としての挑戦へと向けられている。スクラムの技術に磨きをかけるだけでなく、タックルやボールキャリーなど、他のプレー面でもチームに貢献することを目標としている。

彼は謙虚に「まだ成長の段階にある」としながらも、「もっと成長してから日本代表に挑戦したい。でもそんなことは言ってられなくて、声がかかったらすぐに行きます。」と語り、さらなる飛躍を誓っている。


小鍜治 悠太(こかじ ゆうた)
1998年7月8日大阪府生まれ。東芝ブレイブルーパス東京に所属し、ポジションは左プロップ(3番)。
5歳からラグビースクールでラグビーを始め、大阪産業大学附属高校に進学し、3年生でプロップに転向。天理大学では2年生からレギュラーに定着し関西大学ラグビーリーグ連覇、4年生では全国大学ラグビーフットボール選手権大会優勝を果たす。在学中には関西学生代表やジュニア・ジャパンに選出される。天理大学卒業後、東芝ブレイブルーパス東京に入団し、2023-24シーズンの日本選手権優勝に貢献する。力強いスクラムが特徴。ラグビー日本代表バックアップメンバーに選出されている。
オフシーズンにはバイクやキャンプ等アウトドアを楽しむ一方で、自宅で音楽鑑賞や料理を楽しむ一面もある多趣味派。

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